花王株式会社 DX戦略推進センター DXデザイン部 戦略企画室 廣澤 祐さん
トイレタリーや化粧品などのシェアトップメーカーであり、「スモールマス」戦略などそのマーケティング動向が常に注目される花王。その中でも若手マーケターとして異彩を放つ廣澤祐さん。経歴はデジタルマーケティングから始まり、乾燥性敏感肌のための化粧品「キュレル」の商品開発や販売・プロモーションを手掛けるなど、幅広く活躍されています。豊富な知識と深い洞察力で本質を捉える若手マーケターが考える「広告のこれから」とは?
話題のマーケターにビデオリサーチメンバーがお話を伺う当企画、第2回の廣澤氏には、第1回に引き続きビデオリサーチ マーケティングソリューション部の吉田正寛がお話を伺いました。
<プロフィール>
廣澤 祐(花王株式会社 DX戦略推進センター DXデザイン部 戦略企画室)
2015年に花王株式会社へ入社し、デジタルマーケティングを経験したのち化粧品ブランドのマーケティングに従事。2021年1月より現職。2021年4月より一橋大学大学院経営管理研究科博士後期課程へ在籍。
吉田正寛(ビデオリサーチ ソリューション室 マーケティングソリューション部 エキスパート)
主にメーカー等の広報・宣伝担当部署から、広告会社や媒体社営業担当部署をクライアントに、広告活動のプランニングや広告効果測定をコンサルティング、メディアの広告役割の観点から、次期広報・宣伝施策を第三者の立場でサポート。
萌芽期のデジタルマーケティングを経験し、現在はDX推進へ
吉田 まずは、廣澤さんのご経歴を教えてください。
廣澤 花王に入社して最初に配属されたのがデジタルマーケティングセンターで、デジタルマーケティングの支援、ブランドを横断した戦略立案などの業務をしていました。その後、キュレル事業部に異動してマーケティングを3年間担当し、現在はDX戦略推進センターでDX事業の推進部署を横断して見ています。
吉田 デジタルマーケティングのスペシャリストという印象がありますが、入社以前からデジタル領域にご関心があったのですか?
廣澤 学生時代はデジタルについて素人でしたが、部署に配属されて、実践の中で勉強していきました。2015年の入社当時は、大手企業が段々とソーシャルメディアの活用に目を向けはじめた時期。各メーカーがTwitterでリツイートキャンペーンを行ったり、YouTube広告なんかも始まったばかりだったと思います。
広告は4マスの新聞・雑誌・テレビ・ラジオという“枠”での訴求から、ネットを使って“個人”に訴求しようとする「枠から人へ」の流れが過熱していて、お客様を個別に認識してコミュニケーションを取るのがデジタル広告の主流になりつつありました。当時はテクノロジーのすみわけや評価も進み、そうした技術を用いて企業としてどのようなアウトプットへ繋げるべきか、最終的なアクションがお客様にとっての価値提案になっているか、といったことを考えながら業務に取り組んでいました。
そうしてデジタルの知見を深めながら、マーケティング活動がどうあるべきか、ということも同時にOJTなどを通じて学べたと思います。
その後、キュレル事業部では、デジタル活用ということも念頭には入れつつ、ブランドのマーケティング活動全体に係ることができました。
吉田 現在、廣澤さんが取り組んでいるDX推進はどんなものなのでしょうか?
廣澤 ざっくり言ってしまうと、既存事業のDXを推進していくことです。花王の製品は洗剤や化粧品など、モノ自体はデジタルと距離のあるものが多いです。今まではモノ自体が解決できること、モノ自体が発揮できる価値を提案するのが当たり前でしたが、我々の部署ではそうした境界を越えて、生活に対する価値提案をデジタル技術なども活用しながら、どのように変化させ付加価値を創出するかが課題となります。
さらに、自社のリソースを整理するのも重要です。デジタル技術を活用するにしても、バリューチェーンのどこに影響するのか、生産コストが下がるとか、リードタイムが短縮できるといった効率改善が実現できるのか、また、実現可能性があるのかといった観点も大切です。
そうした総合的な活動が買い手にとっての魅力的な提案につながるのか、貢献できるかを考えながら取り組んでいます。
吉田 DXの促進については課題を抱えている企業も多いと思いますが、成功させるには何が必要だと思われますか?
廣澤 DXで大事なのは“戦略を決める”というシンプルなこと。基本的にデバイスやテクノロジーはツールの一つですから、そうした技術を花王が実装したときに、生活にどんな変化を起こすることができ自社に貢献できるのかを定めること、そしてそれが実現可能であり事業として成立するかどうかを見極めることです。その上で、買い手に対してその価値をわかりやすく提案することが肝要です。
お客様の悩みに応えることで市場が成長する
吉田 花王では「スモールマス」戦略を打ち出していますが、廣澤さんがご担当されていたキュレルは、まさにこれを体現している商品だと感じます。
廣澤 「スモールマス」は、多様化、細分化する市場を、生活者のライフスタイルや、興味関心・ニーズを理解した上でいくつかのセグメントに分け、既存のマスより小さいながらも一定のボリュームを持つ消費者のグループに向け、それぞれに合った商品を提供するというものです。これ自体は新しい概念ではなく、「マスカスタマイゼーション」のように昔からあった考え方なのですが、ワードとしてとてもキャッチ―だったので注目していただいたのだと思います。
そもそもキュレルは1999年、マスメディア全盛期に誕生したブランドで、“スモールマスブランド”といったことを意識して作っていたわけではありません。昔から「肌荒れ」に悩む人は一定数いるのに、それに対して日常的に使える商品がなかった。化学メーカーとしてお客さまの悩みに寄り添うことが必要だ、という信念から始まったブランドです。
それが時代の変化やスキンケアへの意識の高まりもあって、軽度でも肌荒れと感じる人や、お子さんの敏感肌を気にするお母さんなども増えてきて、キュレルが貢献できる分野が広がった。結果としてスモールから始まった「肌荒れ」という市場がマスになったという流れです。
吉田 確かにキュレルが誕生した20年前と比べて、「肌荒れ」や「敏感肌」といった言葉はとても一般的になりましたよね。
廣澤 肌荒れというのは、体質や肌質によるところも大きいです。また、肌荒れは顔だけでなく体にもあるし、お風呂に入っているときでも乾燥する、といった複雑な悩みもあったりします。
キュレルはそれぞれの悩みから、「乾燥性敏感肌」というカテゴリーとターゲットを明確にし、その中で的確に商品を開発し提案してきた結果、多くの方にご使用いただいているのだと思います。
吉田 私の知り合いで、奥様の妊娠・出産をきっかけにキュレルに出会って、スキンケアからボディケアまで全てキュレルに変わったという話を聞いたことがあります。キュレルは商品ラインアップが豊富ですよね。
廣澤 この方が“プレママ”というライフステージで、赤ちゃんのデリケートな肌にも使えるものとしてキュレルに出会われたように、お客様の様々な要望に応えられる商品があるからこそ、エントリーポイントも増えると考えています。キュレルは「肌悩みに応える」というコンセプトから始まっているので、商品をシャンプーやボディウォッシュ、日焼け止めと横展開することができました。
「シャンプーを作るぞ」と始めるとシャンプーだけになってしまいますが、「敏感肌に応える」という階層としてはもう一段上のカテゴリー、ターゲットの設定なので、「敏感肌のための〇〇」はいろいろ作れますよね。
ただ、お客様の要望に応えようと細分化しすぎてパーソナライズの方向に向かえば向かうほど、開発や人材などにかかる負担は大きくなってしまい収益構造が悪くなるという問題があるので、お客様のニーズと事業存続ができる中庸をとって成り立たせていくことが大事。それが「スモールマス」のベーシックな考え方だと思っています。
コミュニケーションやコンタクトポイントは「人から枠へ」回帰していく
吉田 コンタクトポイントを増やすために広告で工夫されていることはありますか?
廣澤 昨今、パーソナライズやカスタマイズを是とする傾向が様々な分野で非常に強くなっていますが、コンタクトポイントを細分化してコミュニケーションしていくのが本当に効果的かどうかは、商品の特性によって違うと思います。
例えば、キュレルは「肌荒れ」というパーソナルかつセンシティブな問題が入り口にあるのでネット検索されやすい。顔がカサカサしたり、手が荒れてボロボロになるのは切実な問題ですから、原因や対処法を知りたいですよね。洗剤や一般的なシャンプーのような生活必需品は、そもそも検索されることすら難しい特性があるといえますが、「肌荒れ 防ぐ」などの検索がされていることは容易に想像できますし、そこに対してキュレルはソリューションとして提案することが可能です。
このように、お客様の抱える問題の入口と出口がはっきりしていれば、ある程度コミュニケーションを細分化していっても効果を発揮すると思います。
しかし、洗剤などのように低関与なカテゴリーにおいては、どんどんパーソナライズしてコミュニケーションを細分化していくということより、依然としてマスの中でのポジショニングやそれを体現するメッセージ、浸透させる力といった基本のほうが重要だと思います。
吉田 個人情報の問題などもあって個人をターゲティングした広告が厳しくなっている現状もありますが、デジタルとマスのバランスを考えるうえで重要なことは?
廣澤 私自身は2017年頃から提唱しているのですが、広告は「枠から人へ」の時代は終わって、「人から枠へ」に回帰すると考えています。お客様が個人情報を取られるのを嫌がっていますし、“人”をトラッキングしていることで、タイミングによってはお客様にとって文脈が合っていない広告が出るようになってしまっている。インターネット広告の悪い面が露呈してきていますよね。
例えば、おしゃれな北欧風の家具を真剣に探しているときに、突然、「フケに悩むあなたへ! 」といった広告が出てくるのは、あきらかにミスマッチ。「そんな気分じゃないのに」と嫌悪感さえ抱くかもしれない。
コンバージョン重視で個にリーチしようとする運用型広告が一気に広まりましたが、実際お客様のためになっているのか、適切なタイミングで表示されているのか、それが見直されている段階にきています。
吉田 「人から枠へ」という流れはまさにその通りだなと思いますね。コンテキストマッチングをやっていると運用型広告の限界を強く感じますし、企業もそれに気づき始めています。
廣澤 昨今、3rd Party cookieが使えなくなるといったことが話題ですが、こうした規制が進んでいけば運用型広告で個人を狙い撃ちするといったコミュニケーションは、技術的にも実現できなくなります。お客様のニーズや商品が細分化・多様化していく流れは不可避ですが、そもそも技術的に可能だからと“人だけ”を追いかけて所かまわず広告を掲出するのは、広告主が本来意図している価値提案の形とは異なるのではないかと思います。
今後、個人を狙い撃ちするといったコミュニケーションが技術的にも難しくなる中で、細分化されたニーズに対応したコミュニケーションを実現していくには、志向性の近い人が集まっている“枠”を活用することが大切になってきます。文脈の流れやお客様のモードは微妙に違っても、大きくまとめればこのメディアに集まる人たちに刺さる広告、そのメディアに合ったメッセージを作って“枠”にはめていく、ということだと思います。
吉田 セグメントされた読者を抱え込める雑誌メディアがデジタルにシフトしてきている中で、紙とデジタルの両方に出稿するやり方も増えていますよね。「自分たちのメディアにはこんな特性の人が来ているので、こんなストーリーで商品が流れ込むと非常にマッチします」というプランニングが増えてきています。
美容雑誌の「VoCE」などは分かりやすい例で、VoCEのテイストが好きな人が集まっている一つの“枠”として成立していて、そこにフィットした企業が広告を出している。こうした動きが出てくると、今までのようにデジタルだけで最終的に“個”を追いかけていく考え方は、急速に廃れていくなと感じています。