HOME テレビ ”夢まちバルーン”を大空に! ローカル局 若手応援特集「熊本県民テレビ」
2017.11.24

”夢まちバルーン”を大空に! ローカル局 若手応援特集「熊本県民テレビ」

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※本記事は2016年に取材したものです。

 [ 熊本県民テレビ ]


営業局 営業部/部次長
赤星 裕一郎(あかほし ゆういちろう)

1997年入社

『夢まちランド』が始まった経緯をお聞かせください。

赤星 :実は、『夢まちランド』には前進となる「テレビタ感謝祭」というイベントがあって、『テレビタミン』5周年の感謝の気持ちを伝えようと2002年に始めました。2日間で8万人以上が来場するという加熱ぶりで、混雑し過ぎて危険だったので、当日の生放送で「来場しないでください」と呼びかけたほどです。

午前10時の開場なのに、早朝6時頃からお客様が並び始めて、開場前の時点ですでに人だかりができて、周囲の道路も渋滞になったり、テレビタミンのMCを務める本橋さん開発の「モッちゃんラーメン」も1時間で4,000箱が完売したりと、それはもう凄いイベントでした。

この「テレビタ感謝祭」は開局1期生が中心となって立ち上げ、2010年まで隔年で開催してきたのですが、どんなに凄いイベントでもずっと続けているといつかは飽きられます。そんな時、実行メンバーを若手主体にして新しい一歩を踏み出すように号令がかかりました。そこで私も参画して『夢まちランド』を立ち上げたんです。毎秋開催のこのイベントは社員総出の大祭りです。県民の皆様からは大好評でして、営業先をまわっていても、有り難いことに「何かやるなら、まずはKKTと」と仰っていただいて、実際に広告のお話をいただいたりしています。

『夢まちランド』というネーミングには、どう意味が込められているのでしょうか?

赤星 :誰もが行きたくなる“夢のまち”。みんなが集まって“夢の訪れを待つまち”。熊本の中心市街地である桜町一帯に、そんな「まち」が突然現れて、そして2日間で“夢のように”パッと消えてなくなる。そんなイメージからつけた名称ですね。

『夢まちランド』は2012年に第1回目を開催されましたよね。

その頃の熊本県の経済環境や社会環境はどういう状況だったのでしょうか?

赤星 :ちょうど2012年は4月に熊本市が政令指定都市になり、また熊本に九州新幹線が開通してから1年経過したというタイミングでしたし、加えて当社も開局30周年だったので、内外ともにとてもいいタイミングだったように思います。

『夢まちランド』になってからは毎年開催されているので、既に4回開催されていますが、

そのご苦労や面白エピソードを聞かせていただけますでしょうか?

赤星 :苦労も面白エピソードも山のようにあって、何をお話すればいいのか迷います(笑)。 面白エピソードとしては、2013年に開催した第2回目の『夢まちランド』で、「夢まちバルーン」という催し物をやったんです。

この企画はもともと、熊本城や百貨店、公園などに囲まれた空間を駆使して、何かアトラクションが出来ないか?というところから始まりました。で、具体的に何やるかを実行委員のメンバーで話し合ったんです。でもアイディアが全然出ない。で、飲みにいって延々、その話をしたけど、いまいちパッとせず。で、「現場に行ってみよう」という話になって、酔ったまま現地を散策しながら見てみたんです。そしたら、「このビルとそのビルとあのビルにネット貼って、風船貯めて一斉に飛ばしたら面白くない?」みたいな話になって。翌朝、早速イベント会社に持ち込んだら、「イヤイヤそれは流石に無理です。でも、こういうやり方だったら出来るかもしれません」みたいな感じで、成立させていった企画なんです。

この「夢まちバルーン」は、今や『夢まちランド』を象徴するコンテンツです。具体的には、4,000個の風船に来場者の皆さんそれぞれの“夢”を書いてもらって、バルーンタワーにためておき、夕方になると一斉に空に解き放つんです。皆さん、真剣に“夢”を書いてくれてて、カメラマンが近づくと風船をサッと隠されちゃうんですよ。そこまで真剣に書いてくれてるのがうれしくて。個人的にも思い出深いエピソードのひとつです。

さらに、昨年は『夏まちランド』も開催しておられます。こちらが開催されることになった経緯は?

赤星 :このイベントは熊本市のコンペ案件だったんです。「県民百貨店」という熊本市の代表的な百貨店が閉店になったことなどもあって、熊本の中心市街地から火の国まつり、そしてアーケード商店街の活性化などを目的としたイベントコンペに参加するように依頼があって。

結果、当社を選んでいただいたのですが、「テレビタ感謝祭」や「夢まちランド」での実績もあったので、熊本を活性化するイベントができるのはKKTというイメージを持って下さったのかなと想像しています。

 

 

『夏まちランド』での苦労話や面白エピソードを聞かせていただけますか?

赤星 :またまた、面白エピソードになるのですが、“ナツマチノモリ”という、子供たちが自然遊びが出来るようなゾーンを作ったんです。カブトムシなどの昆虫を探そう!という趣旨で。それで、いざカブトムシを用意しようと思ったら、カブトムシって結構高いんですよね(苦笑)。

かと言って、安い外国産を購入するのも何か違うなと思いますし。ある程度の数のカブトムシがいないと我々としても格好がつかないので、結局社員が仕事を終えた後に捕まえに行くことにしたんです。一番たくさん捕まえた人には1万円!という賞金までつけて。

私は早朝に穴場スポットに行きました。結果、1位は系列会社の人で100匹を捕獲!知人のネットワークを存分に駆使したそうです。まあ2位の90匹も凄いんですけど(笑)。専務もゴルフ場2箇所に依頼して、60匹は捕まえていました。

先ほどの『夢まちランド』でのカブトムシの話もそうですが、

御社の「熊本県民の皆様を楽しませよう」という、そのサービス精神がすご過ぎです。

赤星 :今や、夏は「夏まちランド」、秋は「夢まちランド」と年2本のイベント開催で大変ではありますが、社員も楽しみながらやっています。人を喜ばせることが本当に好きなんですよね。これからもまだまだ熊本県をとことん盛り上げていきます!

今年の両イベントも頑張ってください!

 


報道局 アナウンス部
畑中 香保里(はたなか かほり)

2008年入社

畑中さんは、もともとテレビ局志望だったのですか?

畑中 :高校時代からアナウンサーへの希望は持っていたのですが、大学入試は得意科目で受けたため理系に進学しました。

技術系でもないのに、理系からテレビ局!?

畑中 :理工学部だったのですが、もっと人の気持ちに触れるような事をしたいなぁ~と思うようになって、3年生くらいからアナウンサースクールに通うようになりました。結果、当社に拾ってもらって良かったです(笑)。

大学時代の勉強が今のお仕事につながるようなことってありました?

畑中 :生物が好きだったので、遺伝子のことも学んでいたんです。その中でも特に印象的だった授業が、生命倫理という授業で、受精卵を沢山作って、その中からいい受精卵をひとつ選別し、子供になる可能性のあった残りの受精卵は廃棄するような時代になっていくという授業があって、その内容が忘れられずにいたんです。

そういう事をテーマにした番組が出来るようになったらいいなという淡い希望は入社時もあったんですが、何年かして実際に【現場発!「産みの選択~命と医療のはざまで~」】につながっていくことになるんです。

入社後の経歴をお聞かせください。

畑中 :2008年に入社して、最初の5年間は情報番組のリポーターで、楽しくワイワイする仕事が多かったです。他にも土曜朝の情報番組の立ち上げから参画して、司会や毎週の企画提案やらせてもらいました。ただ入社時から、ドキュメンタリーなど人によった番組をやりたいというのがあって、報道を志望していたのですが、2013年ぐらいから報道の仕事がメインになってきて、取材活動をする時間が多くなっていきました。

 

 

『産みの選択』を作ることになった経緯をお聞かせください。

畑中 :取材活動を始めてまもなく、赤ちゃんポスト『こうのとりのゆりかご』で有名な慈恵病院を担当することになったんです。ここには妊娠・出産に関する深刻な悩みが日本中から日々寄せられているのですが、出生前診断で「胎児に障害があるかも」と宣告されて悩んでおられる方々のことがすごく気になったんです。それと同時期に、熊本大学病院でも新型出生前診断という血液検査だけで、ダウン症などの3つの障害が出産前に分かるようになるという発表があったり、先にお話しました大学時代の生命倫理の授業のこともあったりして。

ずっと心にひっかかっていたテーマだったんですね。

畑中 :そんな頃、自分が通っていたヨガ教室で、先生とマンツーマンだった日に『実は今、妊娠三ヶ月なんだけど…』とある悩みを打ち明けられたんです。先生の家系は、男性だと障害が出る可能性が高い家系で、兄弟などに実際に障害がありました。

一回目の妊娠時には性別が男の子と分かって、中絶という苦渋の選択をされたので、今回の妊娠でまた男の子だったら…という悩みでした。大学時代からのひっかかりと様々なタイミングが重なって、「取材させていただけないでしょうか?」とお願いをしました。

先生の反応は如何でしたか?

畑中 :先生も度胸のある方で、OKを下さったんです。「今後技術が発達していったら、私のような出生前の悩みを抱える人が増えてくるかもしれないので、私でお役に立てるならどうぞ」って。それで2013年11月から取材を開始しました。

制作の過程で、一番ご苦労された点は何でしたか?

畑中 :私自身、はじめてのドキュメンタリーということもあって、頭の中がきちんと整理出来ずに取材が進んでいって、ある時、デスクから言われたんです。このままだと、一人の女性が家系の問題もあって悩み、決断をし、でも産みました…で終わるよ。もっと取材を通して、日本社会の課題を浮き彫りにするところまで掘り下げないと、って。

でも、その話をされる時点で、かなり撮影が進んでたと思うのですが、どうリカバリーを?

畑中 :先生が産む決断をする際に“遺伝カウンセリング”に助けられた、と話していたのを思い出したんです。もし障害があったら、こういう現実があり、一方でこういうサポート制度がありますと、医師がカウンセリングをして患者の決断を手助けします。これから、この遺伝カウンセリングに対する社会的注目やニーズが高まるのでそこを描こうと。

でも、先生の遺伝カウンセリングは既に終わっているので、追加で別の方のカウンセリングの場を取材させていただこうとしたのですが、あまりにもセンシティブな内容なので、全然許諾を得られず、病院内で撮影の交渉をしては断られ..を延々と繰り返しました(苦笑)。

はじめての作品だったので、他にもご苦労あったりされたのではないですか?

畑中 :シーンが足りないという指摘もされました。せっかく使えそうなシーンがあっても、途中で私が話しかけちゃったりしていて。「何でここで話しかけたの!?」と言われたりしました(苦笑)。先生が苦悩していて、「うーん….」とうなってるところで、こちらが待てば表情が変わったり、何か変化が起きたりしたかもしれないのに、待てずに私が話しかけちゃってたんです。

先輩に言われたのは、頑張って黙ると、何か発してくれたりするかもしれないから、そこは話しかけたくなっても頑張って黙って待たないとダメよ、と言われました。

そんな様々なご苦労がありながらも、日本放送文化大賞のグランプリ候補にノミネートされて、

一本目から大作でしたね!次に取材したいテーマとかおありですか?

畑中 :“こうのとりのゆりかご”が2017年で丸十年を迎えるので、もっと追ってみたいです。あとはお母さんになった女性が育児もしながら、どうキャリアを築いていけるのか?というのもやってみたいです。様々な女性の生き方にスポットを当てていきたいと思っています!

次回作も是非拝見したいです!これからも頑張ってください!!

 

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