てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「関口宏」篇

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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「関口宏」篇

てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第48回

関口宏といえば言わずと知れた日本のテレビ界を代表する「司会者」である。

上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」と呼ばれ、俳優の佐野周二を父に持つ彼は、立教大学2年生だった1963年、『お嬢さんカンパイ!』(NETテレビ・現:テレビ朝日)で俳優デビューを果たすと、大学卒業後の1966年、TBSの若者向け情報番組『ヤング720』で初めて司会に抜擢された。

さらに『スター千一夜』(フジテレビ)の司会を務めるようになると本格的に司会業に。1979年に『クイズ100人に聞きました』(TBS)が始まると、俳優業からはほぼ足を洗い、司会業に専念。

最盛期は『クイズ100人に聞きました』、『サンデーモーニング』、『わくわく動物ランド』、『ギミア・ぶれいく』(以上TBS)、『テレビあッとランダム』(テレビ東京)、『知ってるつもり?!』(日本テレビ)、『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)と7本の番組の司会を担当。いずれも高視聴率番組だ。


そんな関口宏が、36年にわたり司会を務めてきた『サンデーモーニング』から来年3月をもって勇退することが発表された。

「この『サンデーモーニング』が36年経ちました。そして私も80になりまして、そろそろ世代交代かということになりました。TBSともいろいろ話をしてきましたが、来年の3月いっぱいで世代交代することにいたしました。後は膳場貴子さんがやってくださいます。」

そう本人の口からも10月22日の放送で伝えられた。


番組にとって司会者が変わることは大きな変化だ。しかし、関口宏の場合、それだけではとどまらない。何しろ彼は「テレビ屋」を自称するように、"裏方"としても番組の根幹を支えてきたからだ。

「ただの出演者ではなく、スタッフの一員として、一緒に番組を作るのが楽しい」(※1)と関口は言う。

ほとんどの番組で企画段階から携わり、時間が許す限り番組セットの打ち合わせにまで立ち会ってきた。いわば司会者であり、プロデューサーであり、ディレクターでもあった。

『サンデーモーニング』でも打ち合わせ段階から関わり、毎週金・土曜日にスタッフと議論を重ねるのが長年の間に築いたスタイル。

「ああしよう、こうしよう、と議論百出になる。その上で、最後は僕に任せてもらう」(※2)のだという。


そんな"裏方"業にもっとも深くまで入り込んで制作した番組のひとつが『知ってるつもり?!』だ。

1989年から2002年まで続いた人物ドキュメンタリー番組。毎回ひとりの歴史上の"偉人"に焦点をあて、単なる"偉人伝"ではない人間のドラマを伝える情報番組だった。

関口はこの番組に企画段階から関わり、唯一無二ともいえる番組を作り上げた。

「番組を始めたのはバブルの真っただ中で、世の中が不気味な感じだったころ。何でも金、金...という時代だった。四十七、八歳になっていたから、人生を考えないといけない年齢にもなっていたんです。これでいいのか?自分の仕事を振り返って、金だけで人生終わっていいのか?と疑問を持っていた人は周囲にもたくさんいた。だから、人の生き方を見つめないといけないと思ったのが番組のきっかけ。人物をできるかぎりキッチリ描いてみようと思った。世の中で起こっていることの大半は人物が起こしている」(※3)


それが、企画の着想だった。だが、ドキュメンタリーは数字(視聴率)が取れないのはテレビの"常識"。ましてや日曜日のゴールデンタイム。そのため、当初はクイズ番組としてスタートした。

しかし、クイズ要素はどんどん削られていき、人物ドキュメンタリーに一本化していった。関口の番組の多くがそうであるように、スタート当初は伸び悩んだ視聴率も次第に上がっていき、1年が経つ頃には20%を超えることが珍しくなくなっていた。


番組最高視聴率は「ジョン・F・ケネディ伝説」を追った1993年10月10日の放送だが、杉原千畝や中村久子といった当時は決して有名ではなかった人物も、この番組に取り上げられることによって広く知られるようになった。何しろ、初回で取り上げたのも決して派手ではない平賀源内だった。

1時間という限られた時間の中で人の一生を描くため、完璧なものが作れるわけではない。

そんな中で関口がこだわったのは、その人の「偉業」だけを扱わないということだった。みんなどこかに転換期がある。それを見極め、その人物の苦悩、葛藤、人間味を丹念に描いた。


この番組の本番で関口はほとんど自分の意見を口にすることはなかった。VTRを見て感想を言うのはゲストだけ。それは、そのVTRに自分の思いが既に反映されていたからだ。

「本番前に僕の仕事のほとんどは終わってるんです」(※4)と。

会議から参加し、取り上げる人物案はもちろん、その人生のどこをどのように取り上げるかまで詳細に話し合う。当然、VTRもチェックし、その出来に不満があれば直しも要求する。

番組初期には、仕上がったVTRにどうしても納得がいかず、なんと本番当日に収録を中止したことさえあった。


「人物の描き方が的確でないと、世の中で起こっていることも的確にとらえられない。資料集めと取材にはかなりの時間を注ぎ込んだな。しかし、どう見ても人物をとらえ切れていないVTRがあり、もう一回やり直そうと番組の初期には収録を二回飛ばした。たかが一時間の番組で人物のすべてを語るのは無理だと分かっていたけど、一時間でできる限りのことをしよう。ベストを目指さなければ、人を扱う番組なので失礼だと思いましたよ」(※3)

そのこだわりは「他人の人生をおもちゃにできない」という思いだ。毎週、法事をやっている感覚で、反響が大きいと「あ、ご供養ができたな」と思えたという(※5)。

視聴率よりも"視聴質"にこだわり続けた関口宏。

そんな彼が軒並み高視聴率番組を持ち「視聴率男」と呼ばれていたことは、皮肉であり、希望だ。


(参考文献)

(※1)「中国新聞」2017年10月5日

(※2)「毎日新聞」2012年12月7日

(※3)「産経新聞」2003年6月5日

(※4)『潮』1991年9月号(潮出版社)

(※5)「読売新聞」2002年3月13日


<了>

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