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2023.1.23

てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~「喰始」篇

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てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第38回

てれびのスキマ(戸部田 誠)

「てれびのスキマ」として活躍する“テレビっ子ライター”。1978年生まれ、福岡県出身。一般企業に勤めながら、趣味でテレビ関連の記事を発信するブログを執筆していたところ、水道橋博士の目に止まり、副業としてライター業を始める。以後、ライター業の拡大とともに副業から専業へ。現在は『週刊文春』『週間SPA!』『水道橋博士のメルマ旬報』などで連載中。著書に『タモリ学(2014年/イーストプレス)』『1989年のテレビっ子(2016年/双葉者)』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった(2018年/文春文庫)』『全部やれ。』『売れるには理由がある』等がある。

 


 

喰始といえば、言わずとしれたWAHAHA本舗の主宰・演出家だ。WAHAHA本舗は1984年に旗揚げ。そこから、久本雅美、柴田理恵、佐藤正宏、村松利史、吹越満、梅垣義明ら数多くの才能を輩出し、過激な作風で熱烈なファンを獲得している。

WAHAHA本舗を立ち上げた際、喰始は劇団員に「これからの役者は作家性が無いとダメ。だから僕は台本書きません」(※1)と宣言したそうだが、もともとはコント台本を書く作家として世に出た人物。

それも『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(以下、『ゲバゲバ』)、『コント55号のなんでそうなるの?』、『カリキュラマシーン』、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(いずれも日本テレビ)といった番組を手掛け、テレビの放送作家として名を馳せていたのだ。

 

喰が最初に憧れたのは映画監督だった。幼い頃から、中村錦之助(萬屋欽之介)や大川橋蔵のチャンバラ映画や東宝製作の怪獣もの、「社長シリーズ」などが好きだった彼は、黒澤明の『用心棒』を観てその思いを強く抱いた。

そんな中で、ハナ肇とクレージーキャッツに出会う。映画こそ琴線に触れるものはなかったが、音楽バラエティの『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)の虜になった。

喰はそのエンドクレジットに「作・構成/谷啓」とあるのに気づき、驚いた。「えっ、谷啓って忙しいのに、こんなことをやっているのか」と(※2)。それから毎週のように谷啓にファンレターを送るようになった。

 

しかも、当時は雑誌等に住所が載っていた時代。事務所宛てではなく、本人の自宅宛てに送っていた。その内容は「今回のクレージーの映画もつまらない」といった辛辣な感想とともに、自分で考えた谷啓用のギャグを書き添えるなど、今考えればかなりイタいファンだ。それでも谷啓からは返事として年賀状が届いたりしていたという。

けれど喰は、谷啓本人ではなくマネージャーが書いたものだと思っていた。だが、自分が作った同人誌を送った際に「私も高校時代にそういうことをやっていて、非常に懐かしい思いがしました」という返事が届き、その封筒の裏側に「ムヒョ」とか「ガチョーン」といったギャグが書き込まれていて、本人からの手紙だと確信して喜んだという(※3)。

事実、作家になってから実際に対面した際、「あなたが喰始さんですか! ファンレター、家内共々いつもいつも楽しみに読んでたんですよ。『こんな変な奴がいるんだ!』って」と言われた。

 

日本大学の芸術学部に進学した喰は、ある時、校内で「僕と一緒にバラエティの勉強をしませんか」という張り紙を見かける。その「僕」とは、『夢であいましょう』(NHK)などを手掛け、超売れっ子放送作家として飛ぶ鳥を落とす勢いだった永六輔であった。

しかし、喰は『夢であいましょう』よりも『シャボン玉ホリデー』派だったため、さほど興味はなかったが、友人に勧められるまま応募した。

応募する際、『シャボン玉ホリデー』の「お呼びでない」という植木等のギャグがなぜ面白いかという論考と、谷啓に送ったようなギャグを書き連ねると、すぐに永六輔に「僕の2世だね」と言われるほど気に入られ(※4)、彼が作った「ニコニコ堂」というグループに所属することになった。

ちなみに「喰始」という名前は、高校時代に作った同人雑誌でのペンネーム。憧れの谷啓と同じ漢字2文字ということで「食始」とつけたものを流用した。だが、それを永六輔が間違えて「喰始」と書いた。すると、「谷啓」も「喰始」もどちらの字にも「口」があることに気づき、「これは谷啓さんのファンとしては申し分ない」とそちらを採用したという(※3)。

 

そんな中、『ゲバゲバ』の話が永六輔のもとに寄せられる。しかし、もうその頃、永は「もうテレビで書く仕事はやらない」というスタンスになっていたため、「ニコニコ堂」の中から、若くて才能がある松原敏春と喰始を送り込んだのだ。

『ゲバゲバ』は、まさに喰のためにあるようなコンセプトの番組だった。なぜなら、短いシークエンスでギャグをどんどん見せていく番組だったからだ。喰は、これまで谷啓のために書き溜めていたギャグを提出すると、できあがった台本の3分の2近くが喰のギャグで占められていた。

 

「天才あらわる」と騒がれた。何しろ「ギャグ」を書ける作家などほとんどいなかったのだ。

『ゲバゲバ』の放送終了後も、それが当たったためギャグを書くような仕事が舞い込んだが、喰が書いて提出しても直しが来ない。

台本には載っているが、オンエアされないことは少なくなかった。それは「僕の書いてるギャグを理解できないヤツは、もう時代遅れであるというふうになってて、チェックもなくて何でもOKなんだけど、撮りはしない」(※3)という状況だったのだ。つまり「神格化」されてしまったのだ。

 

喰のギャグをもっとも理解していた演出家は、『ゲバゲバ』の齋藤太朗だった。その齋藤太朗が『ゲバゲバ』のスタッフを再集結させて作った番組が『カリキュラマシーン』だ。当然、喰も作家として参加する。ここでも喰は、松原と自分が書いたギャグに刺激を受けて作家となった浦沢義雄とともに番組を支えた。

子供向けの番組でも子供扱いは決してしなかった。人形に短剣を突き刺して「短剣が3、短剣が2、あわせていくつ?」だとか、人形の首をスポンスポンと抜きながら「好き、きらい、好き、きらい…」とやるなど、残酷でブラックユーモアのあるネタを積極的に書いた。

「子供が真似して問題になることもあったが、現在と違うのは、当時は問題になって初めて検証することだ。今は、問題になりそうなものは先回りして『自主規制』する。その違いが大きい」と喰は言う(※3)。

 

喰は、テレビから離れWAHAHA本舗を主戦場とした後も、「自主規制」という得体の知れない敵と戦い続けている。

「国籍や宗教が違うと、『考え方が違う人間なんだ』という先入観を持ってしまうけど、笑うことによって同じような人間だということが分かるんですよね。すべての人が互いにそう思えたら、戦争だって起こらない。だから、笑いは武器になるんです。そんな笑いを制限していくことに対しては、僕は徹底的に戦いたいと思います」(※5)。

 

(参考文献)
(※1)『はいからonline』2021.09.21
(※2)『週刊アサヒ芸能』2020年 6/4号(徳間書店)
(※3)平成カリキュラマシーン研究会・編『カリキュラマシーン大解剖』(彩流社)
(※4)『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』2021.07.24(TBSラジオ)
(※5)『CINRA』2017.04.17

 

<了>

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