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2021.11.25

てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~「佐藤輝」篇

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てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第25回

てれびのスキマ(戸部田 誠)

「てれびのスキマ」として活躍する“テレビっ子ライター”。1978年生まれ、福岡県出身。一般企業に勤めながら、趣味でテレビ関連の記事を発信するブログを執筆していたところ、水道橋博士の目に止まり、副業としてライター業を始める。以後、ライター業の拡大とともに副業から専業へ。現在は『週刊文春』『週間SPA!』『水道橋博士のメルマ旬報』などで連載中。著書に『タモリ学(2014年/イーストプレス)』『1989年のテレビっ子(2016年/双葉者)』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった(2018年/文春文庫)』『全部やれ。』『売れるには理由がある』等がある。

 


 

男装の美輪明宏がカンツォーネの名曲「オーソレミオ」を歌い上げている。
その背後にはなぜか普段着の中年女性が大勢いて、歌っている美輪を尻目にカメラに向かってスイカを黙々と食べ続けている。

意味不明。あまりにもシュール。
このインパクト絶大な映像は近年、テレビ東京の秘蔵VTRを紹介する番組などでは必ずと言っていいほど放送され、そのたびに多くの話題を集める。

 

これは、1972年~73年まで放送されていた『私がつくった番組 マイテレビジョン』(当時・東京12チャンネル)で放送されたもの。

この番組は毎回、吉永小百合、中山千夏、三波春夫といった著名人が「私ならこんな番組を作りたい」という考えを元に、自ら企画・構成から参加して番組を制作するというコンセプトで、美輪明宏は「サヨナラ丸山明宏」と題して14回目の1972年8月4日に登場した。この演出を手掛けたのが、テレビマンユニオンのディレクター・佐藤輝だ。佐藤は全48回の同番組で最多の13本を担当した。

 

佐藤はこの「『オーソレミオ』のバッグでスイカを食べる」という演出について、次のように回想している。

「自分でもなんであんなこと思いついたのかわからないな、あれは(笑)。でも、一度閃いたイメージは絶対に撮らなきゃ気がすまないんです。僕は自分が衝撃的だと思うものを撮りたい、自分が観たことのない映像を自分で作り出したい。それを観て自分がショックを受けたいんです」(※1)

 

実は佐藤はこの回の演出をする前、加藤和彦の回を演出し、テレビマンユニオンの幹部から酷評された。カレーパーティーをする加藤の周りを20人ぐらいがローラースケートでぐるぐる廻る、というこれまたシュールな映像だった。

あまりに奇想天外な映像ゆえ、会社で大問題になり、スポンサーも激怒。なんとかプロデューサーが体を張って事態を収め、打ち切りは免れたが、次に撮る回が視聴率5%を取らなければ番組降板という条件が課せられた。『私がつくった番組』は通常でも平均2~3%の番組。5%を超えるなどというのは無茶ぶりだった。

少しでも視聴率を上げようと、視聴者に分かりやすい方向のものを作るのが普通だ。
しかし、佐藤がやったのは真逆だった。それが、美輪明宏の回、即ち、美輪が歌っている背後でおばちゃんたちがスイカを食べているという、分かりやすさとはかけ離れた映像で勝負したのだ。
結果、佐藤は高評価を受け、その後、同番組を最も多く演出することになるのだ。

 

佐藤は、美輪明宏のあとも和田アキ子、小林旭、舟木一夫、戸川昌子らと組み番組をつくっていった。そして、佐藤が次に声をかけたのが赤塚不二夫だった。
そのオファーを受けた赤塚は当所、「カッコいい番組を作りたい」と思ったという。だが、佐藤の思惑は違っていた。

赤塚の自宅を訪れた佐藤は開口一番こう言った。
「バカっぽい番組作ろうよ」

どんな番組なのか赤塚が問うと、佐藤はその構想を語りだした。
「30分間、紙吹雪が降りっぱなし。女性たちにふんどし姿をさせ、半裸で踊らす。赤塚がその女性たちを追い回すバックで、作家の佐々木守に赤塚不二夫論を語らせたい」

 

赤塚はその構想に驚愕し、ノッた。実際にできあがった映像は、その構想をはるかに凌駕する狂ったものだった。
それが「赤塚不二夫の『激情No.1』」(1973年1月25日放送)だ。

舞い散る紙吹雪の中、ふんどしにサングラス姿の赤塚不二夫が傘をさして立って、「マンガNo.1、マンガNo.1」とひたすら叫んでいる。場面が変わると、やはり紙吹雪の中、笠を被った中年女性の集団が音頭を踊っているところに、着流し姿で日の丸模様の扇子を掲げながら「ギンギンギラギラ夕日が沈む~♪」と童謡「夕日」を歌う赤塚。後半になるにつれ、曲のテンポが早くなり、踊りも激しさを増し、サイケデリックな祭りのようになっていく。

さらに半裸の女性が赤塚と騎馬戦に興じたり、「春よ来い」を歌っていた三上寛が突然、「くたばれ~、赤塚ぁ! つぶれてしまえぇ、No.1よ! 恥を知れ、恥を! ガキを騙して金儲け!」とシャウトしだす。セーラー服姿の赤塚が出てきたと思えば、「ちょっとだけよ」とスカートをめくる。すると股間部分に高信太郎の顔。まったく訳が分からない。

中山千夏が「なかりしか、なかりしか~♪」と「自衛隊賛歌」を歌う中、赤塚不二夫は軍服姿で敬礼したまま微動だにしない。さらに終盤には、まだ無名時代のキャロルが登場し、花笠音頭をバックにロックンロールを演奏する。

そして、マンガ家仲間たちにバリカンで頭を刈られ丸坊主になった赤塚が画面に向かって笑顔で言う。
「あー、さっぱりした」

 

まさに狂乱の宴。シュールの極み。圧倒的な映像の力をまざまざと見せつける作品だった。この番組は伊丹十三をはじめとするクリエイターたちにも激賞される。赤塚不二夫も佐藤輝を最大限評価した。

後年、赤塚はこの番組を振り返り、佐藤輝をこう評している。
「輝さんのアイデア。これはすごいなと思った。俺のマンガよりスゴいと思った。」

 

その後、テレビマンユニオンから独立した佐藤が手がけたのが、伝説の5分番組『私…』(テレビ東京)だ。
これは、1977年から1年間、日曜の夜9時48分から放送されていたミニ番組。いわゆる隙間番組だ。だが、その出演者のリストを見ると驚くほど豪華。菅原文太から始まり、桃井かおり、太地喜和子、藤竜也、岡本太郎、赤塚不二夫、泉谷しげる、岡林信康、ジョニー大倉、具志堅用高、内田裕也……、と多種多様な大物芸能人が出演している。

出色なのが山口百恵の回だ。当時山口百恵は18歳。アイドルとして人気絶頂の頃だった。
「砂時計は失われた日々の痛み」と題された放送は百恵自身による初恋のエピソード独白から始まり、電車の中に突然、山口百恵がひとりで歩くという大胆な映像の中、「時間を止められるならば、今18歳っていう時点で時間をぴったり止めてしまいたい」という彼女のモノローグが挿入される。
許された撮影時間はわずか45分だったため、彼女の台詞はすべてアドリブだったという。

もともとは、「スターのご趣味拝見」という企画だったという。だが、佐藤がそんなヌルい企画をそのまま撮るはずがない。

山口百恵の他にも、数多くの大物が「佐藤輝の演出ならば」と出演を快諾した。
赤塚不二夫は亀甲縛りで滝に打たれ、桃井かおりはシャボン玉が飛ぶ中スクラップの車に乗せられ宙吊りにされた。岡林信康はバカ殿に扮しセットを破壊し、その撮影所に出入り禁止になった。さらにはまだカルト芸人だったタモリも出演している。

 

「意味ないんだよ、あんまりね。僕のやることはいちいち意味がないんだよね。だいたい訳がわからないのが好きなの。訳がわかるとかさ、意味が透けて見える、意図が見えちゃうというのがあんまり好きじゃない」(※1)

その意味のなさ、訳のわからなさは赤塚不二夫やタモリの哲学にも通ずるものだ。
それこそが、佐藤輝の真骨頂であり、今のテレビではなかなか見ることができないものだ。

 

(参考文献)
※1 『モーレツ!アナーキーテレビ伝説』(洋泉社)

<了>

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