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2021.9.27

てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~「藤田潔・敦」篇

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てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第23回

てれびのスキマ(戸部田 誠)

「てれびのスキマ」として活躍する〝テレビっ子ライター“。1978年生まれ、福岡県出身。一般企業に勤めながら、趣味でテレビ関連の記事を発信するブログを執筆していたところ、水道橋博士の目に止まり、副業としてライター業を始める。以後、ライター業の拡大とともに副業から専業へ。現在は『週刊文春』『週間SPA!』『水道橋博士のメルマ旬報』などで連載中。著書に『タモリ学(2014年/イーストプレス)』『1989年のテレビっ子(2016年/双葉者)』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった(2018年/文春文庫)』『全部やれ。』『売れるには理由がある』等がある。

 


スポーツ中継はテレビの開局以来、花形のひとつだ。

現在は、オリンピック・パラリンピックはもちろん、サッカーのFIFAワールドカップ、野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、世界陸上、テニスやゴルフの4大メジャー大会など、スポーツの世界的ビッグイベントをテレビの生中継で観ることは当たり前となっている。

だが1970年代前半までは、プロ野球や相撲中継など、国内で開催されるスポーツにほぼ限られていた。日本以外で開催される大会は時差や衛星使用の関係もあり、スポーツ番組の衛星生中継はなかった。

だが、その状況を劇的に変えたのが「ビデオプロモーション」の藤田潔と、その弟であり「テレ・プランニング・インターナショナル」の藤田敦、すなわち「藤田兄弟」だった。

 

「日本で一番大きな広告代理店はどこか知っているか」
面接官はそう目を光らせて尋ねた。

「はい。日本電報通信社です」
「その会社と喧嘩する自信はあるかね」
「喧嘩の相手は大きいほどやりがいがあります」(※)

そんな面接を経て藤田潔は、1953年春、できたばかりの広告会社「ラジオ・テレヴィ・センター」に入社した。その面接官を務めたのが、小谷正一だった。井上靖の小説『闘牛』のモデルにもなった、戦後を代表するイベントプロモーターである。

小谷は翌年、まだ国交のなかったソ連から世界的ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフの招聘しょうへいに成功し、1ヶ月にわたる日本公演を大成功させた。さらに「パントマイムの神様」マルセル・マルソーも招聘。日本にパントマイムブームを巻き起こした。藤田は小谷のアシスタント的な立ち位置で、こうした海外の大物アーティストの付き人兼マネージャーのような仕事をしながらエンターテインメント事業の真髄を味わっていった。

小谷が手がけたラジオ・テレヴィ・センター主催の海外アーティスト招聘イベントは、小谷がすべて1人で決めていた。
「ボスが自信をもって物事を進めることの大切さを、小谷さんの態度や生き方を見て学びました。私も番組を企画する時には、新しいもの、他の人がやってないものを必死に考えます。それは、小谷さんが身をもって教えてくれたことで、それが仕事を続ける上での信条になっているのです」(※)

 

藤田はその後、東京ヴィデオ・ホールで開催された音楽イベントなどを数多く手がけたのち、1960年に独立。「ビデオプロモーション」を設立した。

この会社はイベントやテレビ番組を企画・制作するだけでなく、タレントのマネジメントなども行っていた。所属タレントは司会者として人気だったロイ・ジェームスや歌手のアイ・ジョージ、坂本スミ子の他に永六輔、前田武彦、野坂昭如といった文化人、放送作家出身のタレントたちもいた。いわば“第1次放送作家タレントブーム”の一端を担っていたのだ。

 

日本のアニメを“世界”に売った先駆けも藤田だった。
「伝統のあるカーネギー・ホールでライブをやりたい」というアイ・ジョージの夢を叶えるためアメリカに渡った藤田は、“ついで”に日本のアニメを売り込もうと『鉄腕アトム』を持っていったのだ。現地テレビ局との交渉の末、アメリカの三大メジャーネットワークのひとつ「NBC」と合意、契約を交わした。1964年『アストロボーイ』としてアメリカでの放映が始まると、大きな人気を博した。

この契約調印の際、手塚治虫とNBCを訪れていた藤田は、同局の23時からの生放送番組『ザ・トゥナイト・ショー』のスタジオを2人で観覧した。当時、日本では23時にはテレビの放送は終わっていた。しかしアメリカではこんな豪華な番組が夜遅い時間にもかかわらず放送されている。

日本でもこんな番組をやれないだろうか。

藤田は帰国するとすぐに各局に企画を持ち込んだが、「深夜の不毛な時間ですよ。そんな時間に誰が観るんですか?」などと皆呆れ顔だった。だが、ひとりだけ目を輝かせた人物がいた。日本テレビの井原高忠だ。こうして生まれた番組が『11PM』だった。

 

そんな中、ゴルフ大会「マスターズ・トーナメント」を生中継で放送したいというアイデアを藤田の弟・敦が持ち込んできた。

それまでも同大会はTBSで放送していたが、約2週間遅れの録画放送であった。当然視聴者は結果が分かった上で観るため、緊張感は削がれてしまう。けれど、ライブで放送するとなると早朝の4~5時になってしまう。

「そんな時間に誰が観るんですか?」
藤田は再び同じ言葉で呆れられた。

 

藤田敦は大学卒業後、大阪初のテレビ局・大阪テレビ(現・毎日放送)に入社し、営業として豪腕を振るった。『まんが日本昔ばなし』や『仮面ライダー』などは彼が営業時代に手がけた番組だという。やがて敦はスポーツ番組のセールスにも携わるようになった。そこで目をつけたのが「マスターズ・トーナメント」だったのだ。

「絶対に売れる、これからはスポーツは生でなければだめですよ」
藤田潔はTBSで根気強く交渉した。

「そんなこと、売れてから言ってくださいよ」
最初はそんなふうに鼻で笑われた。

「藤田さんのところで、全部買い切ってくれるならいいよ。うちはリスクを背負わないから」(※)
そんなハイリスクな条件が承諾され、生中継にこぎつけたのだ。敦もこれを成功させるため、毎日放送を退職。「テレ・プランニング・インターナショナル」を立ち上げ「ビデオプロモーション」との二人三脚で初の“スポーツの衛星生中継”という大事業を成功させたのだ。

「マスターズ」の成功で「全米オープン」「全英オープン」の放映権も獲得。
「テレ・プランニング・インターナショナル」はその後も数多くのスポーツイベントを企画、衛星中継し、本場の迫力と興奮を届け、“スポーツの衛星生中継”という分野を開拓していったのだ。

 

(参考文献)
※ 藤田潔:著『テレビ快男児 あの凄い番組をつくった男の50年』(プレジデント社)

 

<了>

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