筑波大学 メディア論教授 辻 泰明さん
2020年3月「NHKプラス」がスタート。これに追随するように、2020年秋以降、民放各社でのテレビ放送のネット同時配信が始まるとみられています。放送と通信の連携・融和が既定路線となるなか、テレビビジネスに携わる人たちが感じている、疾風迅雷のインターネットにのみこまれてしまうのではないかという懸念。それに対して、海外事情にも精通している筑波大学メディア論教授・辻氏に、テレビの活路や進むべき方向性について、深く語っていただきました。
インターネットメディアの急成長
─2020年3月より常時同時配信「NHKプラス」が始まったこともあり、放送と通信の融合がますます話題になっています。辻先生のご見解をお聞かせいただけますか?
イギリスのBBC(英国放送協会)は、2007年に「iPlayer」というサービスの提供を開始しました。放送側から通信へのアプローチという形でiPlayerが登場し、見逃し配信がスタート。イギリスでは、放送と通信の本格的な融合が始まりました。この2007年という年はiPlayerの登場だけではなく、YouTubeが一部の投稿者に収益を得ることを可能にしたり、Netflixが事業転換をして配信を開始したりといった出来事が相次ぎ、インターネット動画メディアにとって重要な節目となった年です。
日本でも当時から放送と通信の融合についてさまざまに議論・検討されてきました。iPlayerから10数年のタイムラグを経て、今ようやく歩を進めることになったのですが、この10年の間に映像メディアの転換は劇的に進行しています。
2010年代にインターネット動画メディアは急成長し、2019年時点でYouTubeの月間利用者は全世界に19億人(※)。全員が毎日接触するわけではありませんが、極めて大きな規模です。
※『インターネット動画メディア論』(大学教育出版)より
─多数のネットメディアが動画を取り扱うようにもなりました。
YouTubeはGoogleの傘下にあります。Amazonは元々かなり早い段階から「Amazonプライム・ビデオ」を会員獲得の目玉にしています。Facebookは「ストーリーズ」、Appleも「Apple TV+」を始めました。Netflixは動画専業です。GAFAにNetflixを加えてFAANGとも呼ばれる5つのプラットフォームが、いずれも動画を成長の主力と位置づけ、テレビを凌駕する巨大なメディアとなりつつあります。
テレビはドメスティックなメディアで、それぞれの国のなかでは巨大なメディアでした。ところがインターネットはグローバルに国境を越えていくので、テレビよりもはるかに大きなメディアとして存在するようになったといえます。
─「NHKプラス」を皮切りに、民放局でも常時同時配信の検討が進んでいます。
2007年にBBCが「iPlayer」を始めたときや、2000年代に日本で盛んに「放送と通信の融合」が議論されていた時代とは、決定的に取り巻く環境が変わっています。放送とは別のところで、インターネット動画メディアが巨大メディアとして成長している状況で、今あらためて出発をしていくわけですから、「状況が変わっている」ということを意識する必要があるのではないでしょうか。
21世紀 メディアの転換
─放送と通信、それぞれの特徴や違いについてお聞かせください。
テレビが基本的には送り手から受け手への“一方向のメディア”であるのに対し、インターネットは“双方向のメディア”であるという、決定的な原理の違いがあります。インターネットは双方向性の機能を用いて、テレビでは難しかった利便性やサービスを提供できます。オンデマンド視聴、多様なインターフェイス、番組検索、コメントや評価の共有、ユーザーによるコンテンツの投稿など。今までになかった新しい形の、利便性が高いメディアなので、膨大な数のユーザーが集まるのです。アメリカで急速に進行しているコードカッティング(ケーブルTVからネット動画への乗り換え)にも、料金の安さに加えて、こうした利便性が背景にあると考えられます。
1990年代、インターネットが登場した頃は、広報の手段としてサイトを開設する等、通信はあくまで放送の補完的な役割を果たすものとしてとらえられていました。2000年代に「放送と通信の融合」が盛んに唱えられていた頃も、放送と対立する部分がありながらも、「新たな伝送路の獲得」といった意味では放送の補完的な存在になるという意識がありました。
しかし、2010年代にインターネット動画メディアが急成長して新たな“映像メディアの転換”が生じたことで、その関係は変化しつつあります。映像メディアの転換がおこるときの非常に重要な経験則として「次のメディアが前のメディアを包含する」という構造になるのです。
─具体的にどういうことでしょうか?
20世紀に起こった映画からテレビへの転換でいうと、テレビで映画を放送することは可能でしたが、映画はテレビを包含することはできませんでした。それと同様に、テレビはインターネットを包含することはできませんが、インターネットは通信回線を通じて同時配信という形でテレビを包含することができます。
─視聴のされ方も大きく変化していますよね。
その功罪が議論されてはいますが、ビンジウォッチング(一気見)のような新たな視聴態様が生じていますね。今後、テレビ視聴や映像コンテンツに対する接し方はさらに変わってくるでしょう。
映画やテレビは、みんなが同じものを、同じときに同じ場所で視聴する映像メディアでした。映画は上映時間に合わせて映画館に足を運んで見るものですし、テレビもまた“お茶の間の王様”と呼ばれた頃は、決まった時間にみんなが集まって見ていました。『8時だョ!全員集合』という番組タイトルは、テレビメディアの本質をよくあらわしていると思います。
それに対して、インターネット動画メディアは、一人ひとりが自分の好きなものを、好きなときに好きな場所で見るメディアです。ユーザーは見たいコンテンツを自分で検索し、選択することができます。「好きな場所で」というのは、テレビもずっとポータブルテレビのような形を追求してきたのですが、テレビとは全く別の新しいハードウェアであるスマートフォンによって実現されたことになりますね。
こうした視聴態様の変化は、かつての大量生産・大量消費を前提とした均一的な社会が、個性と多様化を重んじる社会に変わってきたことと軌を一にしており、ライフスタイルの変容とテクノロジーの進化が合致した結果ともいえるでしょう。
―テレビが担ってきた役割が通信に移行しつつある、とういうことでしょうか?
テレビ制作者の一部にはまだ通信を「情報収集のツール」としてしか見ていない人がいるかもしれませんが、ユーザーの動向は違います。2010年代にYouTuberが台頭し、Netflixがオリジナルコンテンツの制作を始めるなど、インターネット動画メディアが発達して、通信は単なる「情報収集のツール」ではなく、動画を楽しむ「娯楽メディア」に進化しています。
実は“テレビ離れ”という現象は、日本では1980年代にも生じていました。マンネリ化が指摘され、視聴時間も減少したのです。この“テレビ離れ”に際して、1980年代には「教養の娯楽化」や「報道の劇場化」と呼ばれた変革が起こり、ニュースショーやクイズ型の教養番組など新機軸番組が登場しました。こうした変革もひとつの要因となって視聴時間は増加に転じ、その後安定的に推移していたのです。
ところが、インターネットでの動画配信が本格化して、通信が映像コンテンツを楽しむための新たな娯楽メディアとしての性格を強めるのと符合して、日本では2010年代半ばには、改めて“テレビ離れ”が顕著になってきたのです。インターネットでは、テレビでは見られないコンテンツや、ハリウッド映画に匹敵するコンテンツも提供されています。YouTuberはアイドルよりも身近な存在で、「すぐそこにいる友達が面白いコンテンツを出している」という感覚を味わえる。特に若年層には、こうしたインターネット動画を「テレビよりも魅力的、面白い」と感じる人が多いと考えられます。
現にアメリカでは、かつてMTVが担っていた「音楽の最新情報に接する場」としての役割をYouTube Musicが果たすようになっているという研究者もいます。インターネット動画メディアが新世代の映像メディアとしてテレビを包含しつつ発展していることは、いずれ誰もが認識せざるを得なくなるでしょう。
“双方向性メディア”がもたらした変化
─インターネット動画メディアの発展によって、最も変化したことは何でしょうか?
送り手と受け手の関係性ですね。インターネットが圧倒的な利便性を持ち、ユーザー側がコンテンツを選べるようになった今、日本で“4マス(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌という4媒体の通称)”と呼ぶようなトラディショナルなマスメディアが持っていた “優位性”が薄らいできました。
かつてマスコミが非常に大きな力を持ち、第4権力と呼ばれていた時代がありました。トラディショナルなメディアが強力だったのは、「何を供給するか」をメディア側がある程度決めることができたからです。
一方、インターネット動画メディアは、プラットフォーム自体は強力であるものの、ユーザーの存在も大きくなり、送り手と受け手の力関係が変化してきています。インターネット動画メディアの決定的な特徴は、送り手だけでなくユーザー側も情報を発信できる「双方向性」が生まれたこと。これによってユーザーの存在が非常に大きくなり、送り手と受け手の溶融が進んでいます。視聴態様の変化も、ここに起因する部分があるでしょう。ユーザー側の選択肢が拡大した今、ユーザーを強く意識したコンテンツの制作、伝播の在り方の変化に対する対応を余儀なくされています。
─ネット動画は、テレビのような“放送枠”がないことも大きいと感じます。
テレビは1日24時間のなかに15分、30分、1時間といった単位で枠が設けられ、そこにコンテンツを入れていくわけですから、搭載できるコンテンツの分量や数が限られますね。
19世紀以降、さまざまなメディアのコンテンツには、ずっとこうした「パッケージの束縛」がありました。LPレコードであれば毎分33回転で片面20分程度、シングル(EP)なら45回転で5分。映画であればだいたい2時間前後。ところがインターネットは、このパッケージの束縛を解き放ってしまう。どんな尺のコンテンツも搭載できますし、サーバーの容量いっぱいまで、あるいはサーバーの容量を増大できるとしたら、原理的にはさらに多くのコンテンツを搭載することが可能です。現にYouTubeには膨大な量のコンテンツが掲載されています。
─縛りがなくなることで、コンテンツの性質も変化しますね。
個人の好みが細分化していくと同時に、一人ひとりの好みに合わせてコンテンツが細分化していき、テレビであれば考えられなかったようなニッチなコンテンツが登場しています。
たとえば、ただ暖炉の焚き火をうつした癒し動画や、『チャーリーが僕の指を嚙んだ!』のように日常生活を切り取っただけの動画に視聴が集まり、アメリカではマイノリティの人たちが積極的にコンテンツを配信しています。そしてそれらを、テレビのように膨大な数ではなくとも非常に熱心な人たちが支持するのです。日本でも、極めてニッチなコンテンツが、さまざまに存在しています。
今後、メディアの転換がさらに進んでいくと、インターネット動画メディアはテレビメディアのコンテンツ群を包含しつつ、テレビでは不可能だったコンテンツやジャンルを次々と生み出していくでしょう。
放送と通信の有機的結合
─テレビとインターネットを融合させていくために、留意すべきことを教えてください。
2000年代までのような、通信=「放送の補完的存在」「二次展開の新しい供給路・伝送路」といった意識から脱却する必要があるでしょうね。
一斉同報で大勢の人に同時に同じコンテンツを見せることができるのは、テレビならではの特性です。テレビは「第5の壁」ともいわれたように、「常にそこにあるもの」として日常生活に溶け込んでいるので、ユーザーの接し方は受動的になります。対して、インターネットでは細分化されたコンテンツ・情報を、ユーザー自ら能動的に取りにいきます。これはあくまで特性であり、この違いを悲観的に考えるのではなく、テレビはテレビの特性を活かしながら、テレビの受動性とインターネットの能動性を組み合わせるのが良いと考えます。
─具体的にはどのようなことに取り組むと良いのでしょうか?
テレビをつけっぱなしにしてスマートフォンを操作しているという視聴形態もあるので、リアルタイムの放送から思いがけない情報や知らない事柄に遭遇した際、すかさず通信に連携できるサービスができるといいですよね。放送は「あまねく」、通信は「深掘り」の役割を担う。
横軸(放送)で流れるリアルタイムの放送から、そのなかの1点をとらえて縦軸(通信)で深掘りしていくのです。「放送と通信のT字型連動」という形です。NHKがサッカー・ワールドカップのときに制作したアプリがその可能性を感じさせたように、テレビ中継を見て気になった選手のデータや過去のシーンを通信で見ることができるなど、スポーツ中継は特にT字型連動に適応しやすいと考えます。
─そのようなアプローチはリソースに限りがあるローカル局にとってハードルが高いように感じます。
地域で放送に取り組んでいる方々とお話をする機会も多々あるのですが、キー局よりも切迫した危機感を抱いて、なんらかの取り組みを試みようとする意識を持つ方々が多いようです。現在は映像メディアの転換という大変化の最中にあり、対応力が問われているわけです。
放送局の規模や体力に関わらず、変化の実相を観察し、その本質を見極めることが重要だと思います。また、他には無い独自性を確立しグローバルな展開を視野に入れることも一つの方策となると考えられます。
─実現の鍵となる要素はありますか?
今後のAIの発展にもかかっているのではないかと考えています。従来のテレビは労働集約型産業で、優れた技能を持つ人々の共同作業で支えられていますが、通信への展開に際して、ルーティンな部分に関しては、AIの力を借りれば、システムの劇的な改善や省略化が期待できると考えられます。
職人技や芸術的なこと、ジャーナリストとしての取り組みなど、テレビとして重要な部分は残しつつ、通信への展開では、ルーティンに費やしていた時間と労力を他に注げるようになれば、現状では膨大な手間がかかって不可能に見えることも、可能に転じるのではないでしょうか。あるいは、AIの利用とまではいかずとも、業務の流れを見直して組替をおこなうことから始めることもできると思います。これは、かつて現場にいた者としての実感です。
実現のためには、放送と通信それぞれの利点や特性の違い、ユーザーの接し方の違いをわきまえたうえでの組織化、体系化、再現性のある方法論が求められます。放送と通信の連携において、両者を並列的に配置するのではなく、有機的に結合したサービスを設計することが大切です。制作と編成の連携が非常に重要になってくるでしょう。こうした仕組みを構築していくことができた者こそが、次の時代の覇者となる可能性を秘めているのです。