視聴者を信用してないと、番組の軸がぶれる
徳永 ふかわさんは『ひるおび!』にも出演していますけど、その時は自分の中で違うスタンスだったりするんですか?
ふかわ 『ひるおび!』に出ている時は、自分の中で『ひるおび!』のチャンネルに切り替えて出ています。でも出演する番組が変わったとしても、視聴者を信用するっていうマインドは大事にしています。
徳永 視聴者を信用するって具体的にどういうことでしょう?
ふかわ ひとつあるのは、昨今のテレビコンテンツってネットに振り回されているなって気がしているんですね。なぜ振り回されるかっていうのを突き詰めていくと、視聴者を信用していないんじゃないかと思うんです。一見優しいことをしているように見えますけど、視聴者を信用していればテロップで過剰に重ねる必要なんてないのかなと。
徳永 視聴者に向き合って信用すれば、テレビの表現もおのずと定まってきますよね。
ふかわ そう。視聴者を信用してないと、番組の軸がぶれちゃうんです。
最近は少なくなってきていますが、バラエティ番組は終わりの方になると「CMの後もまだまだ続きます」というのがお決まりでしたよね。本当はCMが終わったらエンドロールが流れちゃうのに。
でも、すでにそれは通用しなくなってきていますよね。だったら「もうちょっと観てください」っていうのを正直に伝えた方が誠実だし。
徳永 どんなことでも正直さって大事ですよね。だって隠せないですもん。濁したり隠したりしたとしても、いつかはバレてしまう。
ふかわ なんで、わざわざ観に来てくれている人を欺くようなことをするんだ?ということです。それは制作側の麻痺した感覚があるんでしょうけど。
日本のお笑いは「否定」から「肯定」に
ふかわ もう少し言わせてもらうと、僕はバラエティの中で「いじられキャラ」をやってきました。でも、これってもしかして社会的にいい影響を与えてないんじゃないかという思いがどこかであったんです。
笑いが暴力になってしまっていたのではないかというか…。この価値観は人に押し付けるものではないので、自分の中にしまっておこうと思っていたんですけど。
徳永 なるほど。
ふかわ 本当にこれは一個人としての意見ですが、日本のお笑いも変わっていくんじゃないかなって思っています。誰かが面白いことを言った時、「なんでやねん!」って否定から入るのではなく、発言にかぶせて笑いを取る、みたいな笑いに。
徳永 お笑いの形って、文化であり時代を作る一面もあると思います。若い子たちの言葉遣いにも影響しますし。そのお笑いの形が変わると、人々はどう変わっていくと思いますか?
ふかわ 例えば、情報番組のコメンテーター同士だったとしたら、別の意見を言うのはいいですけど、その人自身を否定をするっていうのはNGですよね。その感覚がお笑いでも当たり前になるといいなと思います。実は世の中もそれを求めているんじゃないですかね。
徳永 つまりお互いが認めあうということですか?
ふかわ そうですね。アメリカのコメディドラマを観ていて、アメリカのドラマって相手のボケに対して否定せずかぶせていくんだな、日本のお笑いもこうあるべきなんじゃないかなと思ったんです。
徳永 否定しちゃうとスパンと切って終わっちゃいますけど、肯定してかぶせていくと豊かになっていきますよね。
ふかわ 観ている人は絶対そのほうが気持ちいいんですよ。
徳永 でも面白くかぶせていくのって難しいですよね。
ふかわ 難しいけど、そういうマインドを持っていることが大事だと思っているんです。そのスタンスで失敗することなく面白いコンテンツを作るのは天才じゃないと無理なんでしょうけど。でも、僕はお笑いがそっちの方向に変わることでテレビの表現の幅が狭まってしまう、なんてことは一切ないと思っています。
今までできなかったことに挑むことで、新しい扉が開く可能性があるんじゃないですかね。仮にこの「肯定」のスタンスで失敗してしまったとしても、その挑戦の意図を視聴者は汲み取ってくれると信じているので。
たどり着いた結論は、ズバリ「信頼と信念」
徳永 今日は久々にふかわさんとお話ができて、すごく面白かったです。最後に、今後どういった番組が求められていくかといった将来的な部分をお伺いしてもよろしいでしょうか?
ふかわ 視聴者は変化を求めているのか、それとも新しいものを求めているのかということを考えていくことが前提かなと思います。例えば、海外で起きた重大事件を報じる一方で、アイスランドで草を食んでいる羊のことを伝える番組があってもいいと思うんです。なぜ羊がアイスランドで草を食んでいることを報じないのかというと、それは特別な変化がないから。
その一方で『ポツンと一軒家』みたいな番組が数字を持っている。これはなぜかと考えると、視聴者は変化も観たいけど、実は変わらないものも観たいのかなあとも思いますね。
徳永 私もまさに同じようなことを考えていました。人々が観たいものを伝えることが報道の意義だとずっと思っていたのですが、実はちょっと違うのかな?と感じ始めていて。それは、番組が視聴者の信頼を得ることが前提であり、大事なのだということです。
情報番組でいうと、番組がどんなニュースを扱っているのかという、枠組みへの信頼感といえます。仮に『5時に夢中!』がアイスランドで羊が草を食んでいるニュースを報じたとしても、番組への信頼感があれば腑に落ちるものがあるんじゃないですか?
ふかわ おっしゃるとおり、信頼関係は大事ですね。信頼関係がベースにないと、こちらの意図は伝わらないですし。
徳永 報道番組を作ることの根源って、少しでも人々の役に立つとか、考えるきっかけとかそういうものなのかなと思うんです。そこを諦めずに懇切丁寧に、あらゆる可能性を考え抜いて放送することが番組への信頼につながるのではないかと思うんです。
ふかわ いろんな情報がある中で何をセレクトするかって、簡単じゃないけど本当に大事なことですよね。これも個人的な意見なんですけど、テレビ番組やWebサイトでよくある「クリック数ランキング」みたいな尺度はあんまり好きじゃないです。
ネットの存在によって視聴者の声が届くようになったのも同様で、テレビとお茶の間の関係性や距離感が変化してきている。大衆に寄りすぎてしまうのは、信頼じゃなくて迎合だと言えませんか?
徳永 「私たちはこういう意思を持ってお伝えします」というように、信念を持ってもいいかもしれませんね。
ふかわ 結論が出ましたね!これからのテレビに求められるのは「信頼と信念」。
テレビに関わる人は、視聴者と信頼関係を構築するぞ!という信念を持っていくことですね。現場ではスポンサーさんのことも考えないといけませんし、数字はすぐについてくるものではないですけど、マインドをキープして何年かかったとしても本気で挑まないといけない時期に来ているかもしれません。
徳永 この時代に「信頼と信念」こそが大事ということを、改めて感じることができてとてもうれしいです。
<了>