てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「王東順」篇

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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「王東順」篇

今でも語り継がれるような伝説的なテレビ番組の裏側にはいつもテレビマンがいました。彼らが作り出した番組や企画・演出方法は、今の番組にも形を変えて息づいています。そのような優れたテレビの偉人たちに学ぶのが本連載のテーマです。彼らはテレビという世界に何を感じ、テレビを盛り上げるために何を考えてきたのか。テレビっ子ライター・てれびのスキマ(戸部田誠)さんが、独自の視点でお伝えしていきます。





『クイズ・ドレミファドン!』、『なるほど!ザ・ワールド』、『クイズ!年の差なんて』(いずれもフジテレビ)など数多くの大人気クイズ番組を手がけ「視聴率の怪物」などと呼ばれる伝説的プロデューサーが王東順氏だ。

彼が手がけた番組の多くは視聴率が30%を超えたり、10年以上続く長寿番組になったりしている。間違いなくフジテレビ黄金時代を代表するプロデューサーのひとりだ。


そんな王は元々、テレビ番組を作りたくてフジテレビに入社したわけではなかった。数ある就職先のひとつとして選んだに過ぎなかった。入社後配属されたのも総務部。番組制作とは関係のない部署だった。

けれど、収録しているスタジオを見ているうちに、その華やかさに憧れて、自分もやりたくなっていき、異動願いを出した。なかなかその希望は通らなかったが、入社5年後、ようやく制作に異動になった。

その頃、やりたかったのは音楽番組。当時のテレビ番組の中で最もきらびやかで、報道を除けば、最も花形だった。だが、もちろんすぐにやらせてもらえるわけがない。AD修行の後、「やってみろ」と言われたのが、日曜昼12時の枠。しかも「クイズ番組」だった。

当時のテレビ番組の序列ではクイズ番組は、最下層だったと王は述懐する。また、欧米の番組を真似たものがほとんどだったという。だから、クイズ番組を作れと言われたとき、「え~、クイズ番組かぁ......」と落胆した(※1)。


このとき作ったのが『クイズ・ドレミファドン!』の前身である『クイズ!家族ドレミファ大賞』だった。当時、王は29歳。クイズ番組なんてクイズを作れば終わりでしょっという意識があり、正直クイズ番組をバカにしていたという。

だが、NET(現・テレビ朝日)に『大正テレビ寄席』という強力な裏番組があり、まったく太刀打ちできなかった。やれどもやれどもうまくいかない。それがバネになってクイズ番組にのめり込んでいった。

「これまで決まりきったクイズ番組の形を打破したい。クイズという切り口から新しいバラエティ番組もつくってみたい」(※1)

そうして生まれたのがいまや定番となっている「早押しイントロクイズ」だ。

まだデジタル編集など遠い未来の話。音楽テープの狙った箇所を数ミリ単位で切り貼りするという気が遠くなるようなアナログの作業を経て問題を作った。

アイデアを考えるとき、王が大事にしているのが「昔の知恵」。たとえばトランプの「七並べ」や「大貧民」をテレビのクイズ番組でやれるように進化させるとどうなるか。そういった切り口で考えていった。

早押しイントロクイズは、「西部劇の早撃ち」と「百人一首」をヒントにした。

短く端的な設問、「バン!」と一瞬で決着がつくスピード感。その呼吸とテンポを「昔の知恵」から学んだのだ。これが人気を呼び『ドレミファドン!』はお昼の番組にもかかわらず視聴率20%を超えたこともある人気番組になっていった。折しもソニーからウォークマンが発売され誰もが手軽に曲を繰り返し聴けるようになった時期。番組オーディションにはウォークマンを手にイントロ対策をする参加者が多く集まった。

「完璧なオリジナリティなどない。すでにあるものをどう違うものにするか、それが企画をつくる」(※1)というのが王の持論なのだ。


同じように『なるほど!ザ・ワールド』は、「カーレース」がヒントになって生まれた。

ある時、王は富士スピードウェイに取材に行った。その時、とても不思議な気持ちになったという。前日の予選で一番早かった車が、決勝でポールポジションからスタートとする。速い車が一番前からスタートすれば勝つのが当たり前じゃないか、不公平じゃないかと思ったのだ。

「これまでの決まりきったクイズ番組の形を打破したい」と考え続けていた王はその不公平さにこそ鉱脈を感じたのだ。

従来のクイズ番組は早押しにせよ、書き問題にせよ、公平を期すのが当たり前だった。だったら、自分が新しく作る番組は「できるだけ不公平にしよう」と決めたのだ。

そこで生まれたのが階段状になった独特なセットだった。1番の上の席に座ると1番先に回答権が与えられる。1番の席が間違わない限り、下へ降りていかない。

徳光和夫が『なるほど!ザ・ワールド』に出演した際、王に「これって資本主義そのものだよな」と言ったという。金持ちには金が集まるけど、なかなか金が集まらないところにはいつまでたっても金が集まらない。

「クイズって不公平なほうが面白い」と王は言うのだ(※2)。


個人の海外旅行が自由になり、海外への関心が高まった時代の流れに合致した『なるほど!ザ・ワールド』が視聴率30%を超える人気番組となると、もう一本何か新しいクイズ番組を作ってくれという声があがった。

けれど、なかなか企画は思いつかなかった。

『なるほど!ザ・ワールド』、『世界まるごとHOWマッチ』、『世界ふしぎ発見!』、『わくわく動物ランド』......と、当時流行していた情報映像クイズ番組を縦の線でつなげ、書き出しては、次に来るものは何かと考えた。「これらの企画の延長線上にあるものは何か?」、つまり「垂直思考」で考えているときにはまったく思いつかなかったという。

「あるとき、縦の線を横切る線を描いてみた。それまでは、それぞれの縦の線に来る次のものや、あるいは別の縦の線を生み出そうと考えていたわけだが、それぞれの縦の線を横断する線を引っ張った瞬間、目の前が開けた。いままでとは違う路線、超越した考え方で行けばいいのだ、と」(※1)

王流の「水平思考」だった。その瞬間、王はある日の会議の風景が脳裏をよぎった。一番若いスタッフとの年齢差は20歳以上あった。若いスタッフに「金色夜叉」をあえて「叉」を「又」と書いて「これなんて読むと思う?」と訊いてみた。すると本当に「きんいろよるまた」と読んだのだ。

一方で、若いスタッフは「王さん、六本木のクラブで若い子たちがこんな言葉喋ってるんですけどわかります?」「そんなこともわからないですか?」と言ってくる。「愕然としたのと同時にこのジェネレーションギャップはクイズになるなって思った」のだ(※2)。ちょうどルーズソックスが流行し、時代の主人公が若者になっていた頃。「ヤングvsアダルト」という対決はまたたく間に注目を浴びた。


「昔の知恵」に学びながら、「水平思考」でものを考える。それが王東順がアイデアを考える際に大事にしていることだ。それはまさに「王道」といえる。

それを徹底的に突き詰めるからこそ、人気番組が生まれていったのだろう。

それを支えていたのは「高視聴率をとろう」という意識ではない。「ほかにない」「これまでにない」新しいものを常に目指していた。それが結果的に時代のにおいを嗅ぎ取り、高視聴率につながっていったのだ。


(※1)王東順『「視聴率の怪物」プロデューサーの 現場発想力』(講談社プラスアルファ文庫)

(※2)平成テレビ対談・王東順×五味一男(「マイナビニュース」19年4月11日・12日)


<了>

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