“委ねる”番組が、若い視聴者の熱視線を浴びた
―『ノーナレ』は若者に支持されていると伺っていますが、その要因は?
よく言っていただくのは、「押し付けがましくない」とか、「本当のことをやっていると感じる」という言葉ですね。「わかりやすさ」を求めてナレーションやテロップを多用するようになったことで、逆にそこまで説明してくれなくてもいいよ、想像できるから…そういう視聴者の不満もあるような気がします。
僕らの目線から言うと「ごまかさない」に通じると思っています。番組を作るときに心がけているのは「まとめない」ということです。
わかりやすくしない。これが言葉でいうと格好よく聞こえますが、実際にやってみると難しい。どちらかというと余白は情報量が足りない。もっと足せという文化で育ったので。長年、刷り込まれた習慣を一度、否定する。
いいも悪いも、判断は視聴者に委ねるという感覚。仲間内では「バックドロップドキュメンタリー」と呼んでいます(笑)。
―撮影手段や技術面でのこだわりはありますか?
撮影のカメラマンたちが意識しているのはFIX(カメラと画像を固定したままで撮影する方法)で頑張るという方法を選択しています。カメラの性能が上がったことや、小型ビデオが普及したことで、映像はどんどん人の中にまで入り込めるようになりました。
そんな中で、「ブンブン振り回す映像こそリアルだ」という風潮も生まれたように思います。
例えば高速のズームインで顔にUPって見た目はすごく格好良く見えたりする一方で、「この人に注目してください」「ここがすごいですよね」という押し付けのような性質もあります。
その点、FIXのルーズ、引きの映像って嘘がつけません。その人が持っている雰囲気のようなものが全体に映り込むので、それをどう感じるかは観ている人の判断に任せられる要素があるように思います。
―番組制作の工程においてはいかがですか?
NHKのような組織が大きくて、役割が細分化されて部署も多岐にわたると、それぞれの作業が流れ作業のようになってしまっている部分があると思っていました。
例えばディレクターのほかに、美術的なことを担う“映像デザイン”、音響関連を担う“音響効果”という役割の人間がいます。
まずはディレクターが一定期間をかけて編集を行い、デザインチームに「この番組に合うテロップを作ってください」、音響デザインチームに「ここに合う効果音を付けてください」と依頼する。
でもこの流れだと、最終的な形になったものだけ渡されるわけで、どんなプロセスでその最終形になったのかをシェアできないわけです。これは、すごくもったいないんじゃないかと。
―そこを打破すべく、『ノーナレ』ではどのような取り組みをしているのでしょうか?
カメラマンさん、音声さん、映像デザイン、音響効果、皆が1回集まって、ロケで撮ってきた映像を編集前に観て、意見交換をするラッシュ検討会という場を設けてみました。
「わかるorわからない」ではなく、「どこが感じるか、どこにビビッと来たか」を、皆で好き放題、言い合う場です。そうしたら劇的に皆のモチベーションが上がったのに加え、プロセスを共有することで、思いがけない掛け算も生まれたんです。
そのことを表現するんだったらこんなアート系の動画が海外にありますよとか、伝えたいイメージに合う音楽があるよって提案があったりして、その音楽にあわせて逆に映像を編集するとか。
きっと、昔はこんな感じで、職種や職位に関係なく、ああだこうだ議論しながら番組をつくったんだよなって。今の人たちは優しくて遠慮しがなので、とにかく新鮮でした。
―ノーナレーションという手法を取ることで、テーマや取材対象が絞られることは?
それはありません。番組のスタイルやフォーマットって大事だと思うのですが、「こういうスタイルの、こういう番組です」って決めると、番組はどんどんフォーマット化されて多様性が失われていく。
そうなると、最初からみんな型に合わせたものを作っていくことになります。そっちの方が効率的で、質のコントロールも安定するのは確かです。
でも、そういう番組がいっぱいある中で、「ノーナレーション」というルールを一つだけ守れば、あとは何をやってもいいという方針のほうが、皆それぞれやりたいテーマで挑戦できるじゃないですか。
そういう番組があってもいいのではないかと。番組には透明な部分があればあるほど、皆が想像力を働かせて挑戦できると僕は思っているので、そこを大切にしています。
―「押し付けがましくない」にも通じるものがありますね。
『ドキュメント72時間』も、3日間、同じ場所に居るというだけで、あとは何をやってもいい。
その背景は、基本はそこにいる人にインタビューをするだけで、時系列は絶対に崩せない。つまり、我々制作者の「こういう風に見て欲しい」という意味づけをしない。だから、視聴者は自分で自分と同じような思いを持った人を自分で探す。
『ノーナレ』も出来るだけ、そういう意味づけをしない。それが結果として、「潔さ」や「押し付けがましくなさ」に繋がったのではないかと思います。
目指すのはNHKらしさ✖️革新的な演出
―『ノーナレ』に携わったのは3回目の放送からと伺いました。その回は、どのような内容だったのですか?
『ミアタリ』というタイトルで、大阪府警にいらっしゃる、指名手配中の容疑者を見つけ出す「見当たり捜査官」という刑事さんたちを取り上げました。
毎日のように街を歩き、何万人という人のなかから容疑者を探し出す。
見当たり捜査官の方って、容疑者の顔をとにかく覚えるために、「おい、いまどこにいるんや」とか「疲れてんだろ、競馬いまでもやってんのか」とか、写真に毎日のように話しかけたりするんです。
犯人との対話、それだけでも面白いですよね。『ノーナレ』のイメージにぴったりだと思いました。
―その世界観を表現するために工夫されたことはありますか?
没入感のある映像って何だろうか、VRじゃなくても惹きこまれる映像とは何かということを議論しました。
何百人何千人の人が行き交う街で、容疑者を見つけたときに見えるスローリーな世界を表現するため、映像デザイナーからハイスピードカメラのスローを使うのがいいのではないかという意見が出ました。
『ミアタリ』を作ったとき、僕の所属はまだ大阪放送局だったのですが、東京とは違って皆が同じフロアに居るんですよ。近しい距離でアイデアを出し合いながら作るプロセスは、とても面白く刺激的でした。
カメラマンは多重露光という、光の調整をずらして1カットの中に2つの世界を写り込ませる技術を使い、街並みを走る車のリアウインドウにミナミのネオン街が写っている映像を撮ったりしました。
リアルの世界と、見当たり捜査官の方々が見ている世界、2つの世界があることを表現したかったのです。
―『ミアタリ』の後、特に大変だった回はありますか?
『荒波ゴールドラッシュ』ですね。鳥取はカニが名物なので、カニ漁に関する番組がこれまでもたくさん作られていました。『ノーナレ』を作る前に昔の番組をみんなで見たんです。そうしたら3~4本あった番組がほぼ同じような映像、ナレーション、登場人物でつくられていたんです。
そこで、どうやったら新しいものを生み出せるかという話になりました。そのときに、これはもう撮影方法から抜本的に変えてみようと。
「GoProだけで撮ったら違う映像表現が生まれるかもしれないね」となって、ディレクターやカメラマンが船のあちこちらにGoProをしかけて、手持ちのカメラもGoProに自撮り棒をつけて撮ったんです。
まるでその船に一緒に乗っているような感覚の、臨場感と没入感にあふれる番組になったと思います。
―番組倫理的な側面で難しさを感じたことは?
ナレーションがないということを逆手にとって、これまでタブーとされてきたようなテーマにも挑戦したのですが、視聴者からどんな反応があるか不安な部分もありました。
猟師さんが動物を殺めるシーンが出てくる『けもの道 京都いのちの森』や、生体間移植を手がけた医師にスポットを当てた『“悪魔の医師”か“赤ひげ”か』。ストリップ劇場に通う女性に焦点を当てた『裸に泣く』。
でも、意外にも視聴者から批判の声は出ませんでした。不文律のルールに則るために自主規制をしがちですが、丁寧に対応すればもっと穿った内容を放送できるのではないかという勇気をもらえましたね。
―これらのテーマで“描きたかったこと”とは?
猟師さんが動物を殺めるのが残酷なら、野生動物が害獣として知らないところで焼却処分されている現実はどうなのか。
非人道的と批判を浴びた生体間移植が、命を救ったという事実にどう向き合うのか。
「正しいか正しくないかがわからないこと」を取り上げたかったのです。そして、その判断はあくまで視聴者に委ねる作りにしました。
―取材対象者の“本音”もよく引き出していますよね。
“きれいにお行儀よく”よりも、視聴者に響く本音の言葉や、出演した方ご自身にも満足していただける番組作りを目指しています。本音を引き出す分リスクも伴いますので、時間をかけて説得しますし、どういう内容で放送するかを説明することもあります。
ただ、作っている人間として一番ハッピーなのは、取材対象の方が「自分も知らない自分の一面を引き出してくれた」と言ってくださることなので、全てを説明するのではなく、「観て納得してもらえる」という温度感も大切にしたいと考えています。
良い面も陰の面も取り上げていきたいです。おそらくここは、現場のディレクターが歯を食いしばって真剣勝負している部分だと思います。
新しいチャレンジを生み出すチーム・ビルディング
―各企画については、募集をかけるのですか?
はい。全国に募集をかけていまして、さまざまな地域から応募があります。局内の番組のなかでは、応募の数が多いという話を聞いています。
反響が大きいと、新しいチャレンジをしたいというディレクターは全国にたくさん居るのだということを実感しますね。
皆それぞれに挑戦があるので、取り扱うテーマも多様化します。『町工場×テクノ』という回は、工場音でどこまでの演奏ができるかという実験的な回でしたし、『遥かなる甲子園』のように海外のプロダクションと国際共同制作で作った回もあります。
―地方局から応募が来た後、どのように制作を進めるのでしょうか?
NHKには “経済社会情報番組”や“文化福祉番組”など、たくさんの部署があり、部署内で番組を作るのが基本なのですが、今僕がいる制作局開発推進という部署は、部に関係なく自由に動けるんです。
つまり、いろんな所に足を運んで、いろんな人と一緒にコラボして番組を作るという立場なので、とにかく「やりたい」という意志がある人の所には行って、演出や撮り方などを相談しながら進められるという、有り難いポジションに居ます。
―伊藤さんの役割とは?
縦割りになりがちな所をどう横串に刺していくかを考えながら仕事をしています。僕が何かをするというよりは、伴走しながら後押しをしてあげるというイメージですね。
たとえば『ラーマのつぶやき』という回では、シリア難民というテーマを取り上げたのですが、難民というテーマは今の視聴者からは遠い。観てもらえないことが多いという理由から、提案会議で何度も落とされてきたそうです。
そこで、“難民”としての苦難を前面に出すのではなく、それこそトラさんじゃないけど隣に居る昭和の家族の物語のような切り口で作ろうと議論しました。あと主人公のラーマの心のつぶやきを、自撮りで毎日撮ってもらおうとか。
NHKにしかできない、NHKらしいテーマをどうやったら今の視聴者にも見てもらえるような作りにできるか、演出的な面ではどんどん挑戦していかないと、あっという間に淘汰されてしまう、という危機感は常に持っています。
僕はドキュメンタリーやバラエティなどさまざまな経験を積んできているので、皆が「本当はこういう番組を作りたい」と心に秘めているものに対して、「これはやれるよ」とか、「こうすればやれるよ」という助言やサポートをして後押ししていきたいと考えています。
―今の時代はそういうリーダーシップが求められているように感じます。
新しいものを生み出すためには、チームマネジメントがすごく大事だと思います。
僕自身も自分の価値観やモノの見方が時代遅れになってないか不安がありますし、フラットな関係の方が、自分自身も多様な世界に触れることができますしね。
圧倒的なリーダーシップで皆を引っぱっていく力も僕にはないですし、今は一人ひとりモチベーションが大事な時代だと思っています。
それをいかに引き出すかというモチベーターの役割がプロデューサーには求められる。皆と意見を交わし合いながら、同じ目線に立って、一緒に目標に向かっていく感じでやれるといいなと思っています。
と、まあ、格好良さげに言っていますが、結局は自分が想像もしなかったような映像や演出をみんなが挑戦してきたものを見て、自分も感動したい、それが大きいです。
―『ノーナレ』という番組があってこそですね!
数字をとる訳ではないですし、目立つ存在でもないですし、それでも、「馬鹿をして失敗してもいいから新しいことをやれ!」と言っていただける場があるのは、本当に有り難いことです。
失敗が許されにくい時代ですので、どうしても安全なほうに流れていくじゃないですか。
しかし、NHKにはまだ隙間に挑戦をさせてくれる度量が残っている気がします。
視聴者の皆さんに深く突き刺さる、それこそ一生忘れないような作品って、やっぱり作り手の想いが詰まった、細部に至るまで情熱が宿る、そんな番組だと思うんです。
公共放送から公共メディアへ生まれ変われるか
―これからの『ノーナレ』について、お話を聞かせてください。
2019年4月から、月1回のペースで放送が始まります。4月は2本ですが、季節不定期だったのが定期的に放送されるようになるので、これまでよりも観ていただきやすくなるのではないでしょうか。
―番組として、ある程度の方向性は定めているのですか?
ありません。僕は「こういう枠にしたい」という方向性がないことこそが『ノーナレ』のいい所だと思っているので、あえて番組に色を付けずに、なるべく何でも受け入れたいのです。2019年も、いろんな番組が生まれていくと思います。
毎回違う情熱を伝えて、「今回のノーナレ何なの?」「どういう番組?」と、視聴者を引き付けていきたいです。
昔僕らが熱狂した番組って、そういうものが多かったですよね。一つの番組でも毎回やることが違っていて。
「わけのわからなさ」があるほうが、意外に観ている人の心に残ったりもします。全部をそんな番組にするのは難しい時代だとわかっていますが、そういう場があってもいいと思っているので、『ノーナレ』はそうありたいです。
―『ノーナレ』以外にもチャレンジしたいことや、抱いている課題意識はありますか?
番組だけを作っていればいいという時代が終わり、見てもらうためにはどう話題にするかというプロデュース能力が必要になってきていて、そういう部分ってNHKの人間って最も苦手な部分なんですよね。
『ノーナレ』でやったドキュメンタリーを映画化するという話が出たり、賞を頂いたり、番組への反響や温かいお声がけに励まされることもあるのですが、それは同じような価値観を持ったほんの一部の人なのではないかと、不安になるときも多々あります。
開発推進という新しいコンテンツを開発するというポジションに居て、「自分たちがやっていることは本当に正しいのか」という自問自答は、常にしています。
―その難しさとはどういうことなのでしょうか?
NHKにはどこか堅苦しいイメージがあるのは間違いなくて、60代以上の年齢層の高い方がメインの視聴者層になっていますし、テレビ自体に期待するものが変わってきているというか、特に「テレビは嘘をつく。本当のことをやらない」というイメージが強まっていると思います。
観ていただければ、「押し付けがましくない」「本当のことをやってくれている」という感想を言っていただけるのですが。
「たまたまテレビをつけたら面白い番組をやっていたから観ちゃった」と言われること自体が、もうテレビというメディアだけでは難しい時代になってしまったのを感じます。
それはテレビというメディアが持つ一過性というか、コンテンツとして後に残らないという性質ゆえの部分も大きいと思うのですが、これからテレビがネットに出て行くようなことが当たり前の時代になって、テレビ局が作ったものへのアクセスの仕方がいま以上に広がった時に、どんなコンテンツを作るべきなのかということにもつながることだと思います。
―番組に触れるきっかけを作るためにはどうしたらいいでしょうか?
やっぱり、良い番組を作って終わりということだけでなく、自分たちからどんどん外に出て行って、食べてみてください、硬そうに見えますけど、噛めば噛むほど味が出てきますよって知ってもらう機会をどう作れるかだと思います。
ドキュメンタリーのような、有名人が出ている訳でもなく、派手でもなく、すぐに役立つ訳でもないけど、好きな人はすごく好きというジャンルのコンテンツの、全く新しい楽しみ方を僕ら側から提案できたらいいなあと思っています。すごく難しいんですけどね。
―テレビ番組にもマーケティングが必要なのですね。
マーケティングというのとはちょっと違うとも感じていて、みんなが欲しがる、みんなが良いという観点から考えると、逆に均質化していってしまう部分もあると思うんです。
それよりも、あの店にしか作れない商品が置いてあるっていうブランド、信頼をどう作れるかということなんだと思うんです。
タッチポイント、コンテンツを知るきっかけ、触れてもらえる場をテレビという枠だけでなく、たとえばネットやイベントを通して、官庁や企業、NPOのような志を共にする人たちと連携して一緒に作って行くみたいな発想が必要なのかなと思っています。
そのためには、今まで以上に、僕ら制作者が外に出ていかなくてはならないんだと思います。
―伊藤さんの経験が発揮されそうなフィールドです。
そうですね。人より色々な部署を回って色々な体験をしてきているということは確かで、伝え方や面白がり方は僕らが思っている以上に多様なもので、NHKらしい公共性の高いコンテンツを届ける方法は、番組というジャンル以外にも方法があるんじゃないかと思っています。
僕自身、こういうイベントをやってみたいなとか、あそこと一緒に仕事してみたいみたいなといったアイデアも浮かんできて、NHKにもう20年いますけど、新人のときみたいにワクワクできることは幸せだなあと思っています。
テレビはもうオワコンだと拗ねていても何も変わらないので、新人のときから変わらないんですけど、それを実践する場は、自分で見つけて自分で作り出すしかない。
誰もやったことのないことを生み出して行くしかない。「まだまだテレビは面白いことをやれるはずだ!がんばろうぜ!」というノリで、青臭くやっていきたいですね。
―NHKのこれからが楽しみになるようなお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
NHK 制作局 開発推進 チーフ・プロデューサー 伊藤 雄介(いとう ゆうすけ)
1999年入局後、立ち上がったばかりの広報局制作部に配属。入局2年半で宇都宮放送局、入局6年目で経済社会情報番組に異動。『クローズアップ現代』班へ。大阪放送局などを経て、現在は制作局開発推進に所属。入局以来、数々の番組作りに携わっている。現在の担当番組は『ノーナレ』の他に『テンゴちゃん』『おやすみ日本 眠いいね!』など。