HOME テレビ 映画『うつくしいひと』で地元に貢献!「その地域で生きることを肯定すること」そして「いつも新たな挑戦を」 熊本朝日放送  小野 史修さん vol.2
2018.5.22

映画『うつくしいひと』で地元に貢献!「その地域で生きることを肯定すること」そして「いつも新たな挑戦を」 熊本朝日放送  小野 史修さん vol.2

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熊本朝日放送 東京支社営業部 東京業務部長 小野 史修氏


前回の記事はこちら(vol.1)

—小野さんが関わっているプロジェクトの一つに、行定勲監督作品の映画『うつくしいひと』(16年〜)シリーズの制作があります。これはどういう経緯で実現したのでしょうか。

行定さんとのことをお話しする前に、熊本県出身で英国ファッションの大御所スタイリスト、馬場圭介さんとの出会いについてお話しします。馬場さんは日本を代表するスタイリストですが、出会った頃、地元熊本で暮らす年老いたお母様に何かできることはないかと将来のことを考えていらっしゃいました。

『お前はいいよな、東京で熊本のための仕事ができて』と私に話してきた馬場さんに、『馬場さんだからこそ熊本のためにできることがある。ぜひ小野の〝神輿〟に乗っていただきたい』とお願いしました。ファッションの世界で誰もが知る馬場さんにご協力していただいたほうが、小野一人の企画にするよりネットワークを構築しやすいと考えたからです。

そのような感じで、テレビ局の営業の仕事も手を抜くことなく(笑)、休日や夕方以降の時間に東京で活躍する熊本人を月に一人ずつ探して熊本の焼酎を準備して、熊本と東京をつなぐ会食を重ねました。『東京ひっとでとらす協会』と命名、馬場さんと二人で14年に立ち上げて活動をスタート。二人とも手弁当。月に一度の会食を録音し、ラジオ番組として放送を始めました。

—その活動の一端として、行定監督との関わりができたのですか?

実は最初に行定さんに出会ったのはもう17年以上前でしょうか。行定さんはその頃はどこか熊本と距離を置いているように感じました。実は初めて会った時に行定さんから声を荒げて怒鳴られたんですね。それからの久しぶりの再会がこのラジオの収録でした。

私一人だったら打ち解けるのに時間がかかったかもしれませんが、馬場さんが行定さんに『もう俺たちもいい年だからさ。何か熊本にしたいと思うようになってさ。行定クンもそうじゃない?』とおっしゃって。おかげで行定さんも徐々に本心を語ってくれるようになり、04年に大ヒットした『世界の中心で、愛を叫ぶ』を実は熊本で撮りたかった、いつか必ず熊本で映画を撮りたい…という思いを打ち明けてくれました。

ただ、行定さんは18歳で上京したきり映画の世界にどっぷり。地元とつながる時間も余裕もなかった……と。そこで、『熊本とのつながりなら〝地元のテレビ局〟に任せてください。熊本で映画をつくるなら何が必要ですか? 誰を紹介すればいいですか?』と映画制作に向けて、地元と繋がる具体的な話を進めていきました。

 

 

 

—キー局が映画を制作するのは珍しい話ではありませんが、ローカル局が映画制作に主体的に関わるのは珍しいケースですよね。

やはり前職での経験が大きいです。『熊本シティエフエム』は第三セクターの放送局。そのため、行政からの予算がどのような手順を踏めば進めやすいのか、肌感覚ですが知っていました。通常の映画は興行収入で、先行投資した制作費を回収するというハイリスクな業界と聞きます。しかし『うつくしいひと』は熊本県や協力してくれた市町村はじめ様々な諸団体を巻き込んで組み立てたため、完成の時点で制作費の回収ができていました。

—『うつくしいひと』は16年4月に起きた熊本地震を受けて、チャリティ上映を今も続けていますね。

3月に、地元の菊池映画祭でお披露目した直後、熊本地震が発生しました。私も本業のCMの差し替えなどの業務に追われていました。すぐに熊本に帰って何か手伝いたい気持ちが強まるばかりだったのですが、地元の知人から『お前一人帰ってきても何もならん。東京にいるからこそできることを考えろ』と言われたんです。

同じ時に、行定監督からも連絡がありました。映画『うつくしいひと』の熊本支援チャリティ上映を全国で組み立てたい、一緒に手伝ってほしいと。今でも続いており約220か所で上映、2000万円近く集まり、全額熊本県に寄付しています。


 

 

出身は福岡の小倉で、大学から熊本で過ごしてきた小野氏は、「多くの恩人に出会い、育ててもらったことへの恩返しをしたい」と語る。 熊本地震直後、東京の住居の湯島天神の祭りでは家族と熊本の米焼酎を振る舞うバーを出店。料金を募金形式にしたところ、総額18万円が集まったそう。

 

ジャケットの襟元には、いつも肥後象嵌で作られたくまモンのピンバッジが。 「上京する際、お世話になった方から『おまえは東京でKABを売るのではなく、熊本を売ってこい』と贈られたもの」


―小野さんの話を伺っていると、常に熊本のために何ができるかを考えていることが伝わってきます。(vol.3に続く)

 

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