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2017.10.8

NNNドキュメント「 奥底の悲しみ」の山口放送 ローカル局「気鋭のつくり手Interview & 若手応援特集」

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[ 山口放送 ]

※本記事は2016年に取材したものです。

 


テレビ制作部 テレビ制作課長
佐々木 聰(ささき あきら)

1995年入社。『熱血テレビ』ディレクター。
これまで地域に根ざしたドキュメンタリー番組を数々制作。2007年に放送した『山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷』、15年の「奥底の悲しみ 戦後70年、引揚げ者の記憶』は 日本放送文化大賞でグランプリを受賞。
平成27年度(第66回)芸術選奨の放送部門にて文部科学大臣新人賞を受賞。

 

映画『ふたりの桃源郷』
http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/

山で暮らす夫婦と、支える家族“生きること、老いること”を見続けた25年間の記録を映画化。
5月14日から東京はじめ順次全国で公開。

出来事や人との出会いの中で「伝えたいこと」が生まれてくる。

 

入社されてからはどんな番組を担当されていたのですか。

佐々木 :「ズームイン」を10年くらい担当していました。毎日のように企画書を出していたのですが、通るまで1年くらいかかりました。

 

最初に通った企画のことは覚えてらっしゃいますか。

佐々木 :すごくよく覚えています。「こだわりの一品」というコーナーですね。「ばちこ」と地元で呼ばれている一品を紹介しました。なまこの卵巣を取り出して、それをかきあつめて、干すんです。僕はなまこといえばコノワタくらいの知識で、卵巣があるって知らなかった。

さらになまこは棘皮動物で、色もオレンジでウニと一緒。味も似ているんです。それを「おもしろいでしょ?」ってちゃんと人に伝えられたんでしょうね。それまではよくわからなくて迷っていたんですけど、少しずつコツのようなものがつかめてきて、それからだんだん楽しくなっていきました。

うちの会社は「こうやって、こうして、こうつくるのよ」と手取り足取り教えるというやり方ではなく「やってみて学べ」というやり方なので、経験しながら少しずつわかってきましたね。

 

企画が通り始めたのはなぜだと思いますか?

佐々木 :ひとつの企画で伝えたいことって1個じゃないですか。その1個が見えているか見えていないかでしょうね。最初はそれが全然わからなかったんです。うまく表現できていないけど、そういう伝えたいことがみえるようになってきたから企画が通るようになったんだと思います。

 

今は、さまざまなドキュメンタリー作品をつくられて、数々の賞を受賞されていますが、つくる上で大事なことは何でしょうか。

佐々木 :ワイド番組を担当していますが、ズームインのときも、報道にいたときも一日一日が勝負だと思うんです。やっていくなかに、過程のひとつとしてドキュメンタリーの番組があり、取材して、積み重ねたものが新しい番組につながっていくというイメージ。

日々のニュースでも企画でも物事を掘り下げ、つきつめるような感じなんです。それを1分で出すのか、5分なのか、1時間かの違いだけだと思うんです。

 

戦後の引揚げ者の苛烈な体験を描いた「奥底の悲しみ」。日本放送文化大賞でグランプリを受賞した『奥底の悲しみ』は、情報番組「熱血テレビ」の特集コーナーで取り上げた映像をまとめて、再編集してひとつの番組にしたものですよね。

佐々木 :『奥底の悲しみ』は戦後の引揚げ者をテーマにした番組です。最初のうちはデイリーの仕事をしながらあるきっかけがあって個人的に調べはじめたんです。調べながらちょっとずつ色んなことがわかってきて。

そしてさらにわからないことがでできて、調べて、その繰り返しでした。段々色んなところにいかなきゃいけなくなって、でも休みの日を使っていくには限界がでてきたので、「熱血テレビ」の特集でできないかとプロデューサーの渡部さん(テレビ制作部部長)に相談しました。

これまで調べたことを簡単に伝えて。そしたら渡部さんはあんまり深く聞かず、特集でやっていいよと言ってくれました。

 

基本的に任せてくれるんですね。

佐々木 :そうなんです。「熱血テレビ」の中ではテーマを決めて視聴者から意見を募る企画があるのですが、そこで“戦後の引揚げに関する体験談”を取り上げることになりました。

「苦情とか来たら・・」といって難色を示す人もいると思うんですけど、渡部さんはやっていいといってくれて。実際に募集したら、想像をはるかに超える数の体験談がよせられました。特集に関しても「あまりお金かからなきゃいいよ」と基本的に自由にやらせてくれました。

 

「奥底の悲しみ」については、何か伝えたいことが最初にあったんですか?

佐々木 :戦争のことを伝えるんだという思いがありました。過去に先輩たちも戦争について多く取り上げてきていて、その中でもやっていないことってなんだろうと、最考えていました。調べてみたら40年くらい前に隣の県でも引揚げをテーマにした作品があったんですが、そうだとしてもそんなのどうでもよくなってきたんです。

取材では引揚げの体験者10人くらいと実際に会ってから関係なくなりました。今まで山口県でメディアマンが何人もいたのに、なぜ見てこなかったのか。伝えなきゃ嘘だろと思いました。

 

番組では敗戦後の中国大陸や朝鮮半島で旧ソ連兵から性的暴行を受けた「特殊婦人」について取材されていますが、実際に「特殊婦人」には会えたのでしょうか。

佐々木 :それが会えていないんです。ある時期までは会って、話を聞きたいと思っていました。でもそもそも僕らはそういうひどい目にあった人の話をききたいわけじゃなくて、戦争ってこんな悲しいものなんだよ、つらいものなんだよって伝える立場なので、絶対に会わなくてはってことはないんだと考えるようになりました。

 

とても重いテーマなので、取材を進める際はご苦労されたのではないでしょうか。

佐々木 :ある年配のご姉弟を取材した時のことです。お姉さんの方が自分のお母さんのことを話してくださると。取材の当日には県外に住んでいる弟さんも同席することになったのですが、その弟さんが僕らに一言もしゃべらせなかった。

すごい勢いで机をたたいて・・「俺は聞きたくないんだ。だからここにきたんだ」と。その出来事を目の当たりにして、あらためて僕らは、本当は触れてはいけないことを触れさせてもらっていると気づかされました。

 

今後も取材は続けられていくんですよね?

佐々木 :今は加害側を取材しています。視聴者から寄せられた意見の中で、「日本人も同じことをしたんだよ」という手紙が3通きました。われわれの祖父母も戦場で同じことしていたかもしれないと思うと、加害者のちゃんと側面も伝えていかなければならない。

このテーマはたとえ視聴率が高くなくても誰かがやらなきゃいけないと考えています。取材対象者の方もご高齢になり、いつまで証言をして下さるかわからない。だから急がなくてはと思っています。

 

25年間追いかけた、映画「ふたりの桃源郷」

 

2016年5月には、ドキュメンタリー映画「ふたりの桃源郷」が公開されます。

佐々木 :もともとはズームインやほかの番組のコーナーで足掛け25年間追いかけていた夫婦なんです。寅夫じいちゃんとフサコばあちゃんは、もともと家族みんなで山で暮らしていたけど高度経済成長期には町にでて、また還暦を過ぎて山に戻ってきた。

山での生活を追い続けて番組化もしています(注:2007年に放送した『山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷』日本放送文化大賞でグランプリを受賞)。ローカル局でのドキュメンタリー映画は東海テレビさん、南海放送さん、テレビ新潟さんがすでにやっていて、当社では初めてです。

東海テレビでは阿武野さんっていう方が一生懸命やってらっしゃっています。テレビ番組の出口が少ないのでドキュメンタリーの長い版を映画で、と。映画用のナレーションは吉岡秀隆さんにお願いしました。これまでやってきた25年分の映像を90分にまとめ、膨大な映像の中でももっとも印象に残っているものや、伝えたいものを厳選しました。

 

「山で暮らす夫婦」を長く取材されてきて何か変化はありますか?

佐々木 :最初は先輩が3年くらい担当していて、7年あいだが空いて、その後僕が再び15年追いかけました。この15年の中でも先輩と僕ではテーマが違うんです。先輩は「老人の自立」をテーマにしていました。僕は最初、夫婦は「郷愁」で山にいると思っていました。

でもあるとき「本当にそうかな?」って思ったんです。それが寅夫じいさんが亡くなったとき、「じいさんは農業をしたかったんだ。」って気付いたんです。「自分たちが食べるものは自分たちでつくらなきゃ」というのが二人の口癖でしたから。「ふたりの桃源郷」とは自分たちで畑を耕して、食物を育て生きることだったんです。

 

最後に。今後はどのようなことを追いかけていくんですか?

佐々木 :戦争のことは今後も続けなくてはならないですね。今日も関連した本を20冊購入しました。渡部さんが使っていいっていってくれて(笑)次作のためにどんどん取材したいです。戦争の抑止にもなってほしいし、そういうことをちゃんと伝えていきたいです。

それから戦争以外にも継続して取材しているのが4つも5つもあるし。新しい出会いも大切にしたい。挑戦とか、大げさなことじゃなくて、目の前のことを追いかけていくこと、やり続けることが大事ですね。

 


アナウンサー 成田 弘毅(なりた こうき)

2014年4月入社。福岡県出身。現在、テレビでは月曜『KRYニュースライブ』の「ライブスポーツ」のコーナーや
『熱血テレビ』など、ラジオは水曜日の「お昼はZENKAI ラヂオな時間」(平日12:00~15:30)を担当

 

1年目のビッグイベント

入社されて印象に残っていることはありますか?

成田 :入社1年目のときに印象的なことがありました。ひとつは10月に開催された当社のイベント『秋祭り』。日テレ『スッキリ!!』の「アナサー男子3人衆(森圭介アナ、藤田大介アナ、青木源太アナ)」というユニットが『秋祭り』に来てくれることになったんです。

でも森アナが仕事で来られなくなり、急遽自分が代役ではいることになりました。「ダンスはできるか?」と聞かれて、大学時代はエアロビをやっていたこともあり「踊れるかもしれません」といって(笑)踊ることになりました。

そして、もうひとつは、『スッキリ!!』の地方局がお勧めする「スゴイッス」っていうコーナーをまかせてもらったことです。。新人の僕にとっては本当にビッグイベントでした。

 

2年目の現在は何を担当されているんですか?

成田 :夕方のニュースが4月から新しくなったのですが、そこでスポーツキャスターとして毎週月曜を担当することになり、日々の取材はスポーツが主になってきましたね。小学生から大学生までのアマチュアと、プロスポーツJ3のレノファ山口を取材しています。

 

今度J2にあがりますよね?

成田 :はい。スポーツキャスターとしても非常に嬉しいですね。1回目に試合を見たときとJ2昇格をかけた最終節のときと、ファンサポーターの熱の高まり具合が全然違いました。それを肌で感じるのもやりがいを感じますし、それをしっかり伝えなくてはと思います。僕は福岡出身で山口のスポーツ事情をまったく知らないので、とにかく現場に足を運ぶことが必要だと考えています。

 

ラ・テ兼営局のよさ

 

ラジオも1年目から担当されているんですよね?

成田 :1年目の10月から3時間半のお昼のワイド番組を担当しています。出演できる場所がラジオとテレビと両方あるのはアナウンサー冥利に尽きるなと思いました。ラジオはいかに言葉で表現するかというのが問われるメディアです。

色とか形とかテレビではみればわかりますけど、ラジオだとそれをより細かく言葉で伝えないとイメージできない。先輩から“イメージさせるメディア”だと教わってから、ラジオって言葉でなんでも表現できる楽しい世界なんだと気づきました。

 

ラジオの面白さとはなんでしょうか。

成田 :双方向なメディアという点ですね。リスナーさんと生電話で触れ合えたり、リスナーさんからの投稿で初めて教えてもらう情報もあったり、一緒に番組をつくっている感じがあるところが好きです。

 

ラジオの経験をどうやってテレビに活かしていますか?

成田 :テレビでは2年目から中継レポーターになって、スタジオの外にいることが多くなりました。自分が見たものや聞いたことをスタジオに向かってレポートするのですが、その描写表現の幅が増えたのかなって感じています。現場で感じた温度や香り、色、触感などをより詳しく伝えられるようになりました。ラジオのおかげですね。

 

逆にテレビの経験がラジオに活かせたことは?

成田 :テレビ中継の反省会で「ここは色の変化を言葉でもっと表現するとよかったね。」といわれたりするんですが、そんなとき「ラジオならその2倍わかりやすく伝えないと伝わらないな!」って思いました。うちはラ・テがあるのでそういうことに気付けます。

 

ラジオ番組で苦労されたことは

成田 :1年目から3時間半しゃべらなくてはいけなくなって、日々の生活で面白いこと、楽しいことって何かな?って探すようになりました。

それに伴い私生活もずいぶん変わりましたね。まず外にでるようになって、いろいろな人と話すようになりました、それも山口の人と。山口のことも、山口弁も覚えなきゃいけないと考えていたからです。山口弁で話すとグっと近づけた感じがあるんです。

 

具体的にどんな風に勉強されているんですか?

成田 :初めはバスに乗ることを実践しました。よくわざと相席をして「今何の帰りなんですか?」とか「このバスはどこまで行くんですか?」とかとか聞いてみるんです。これがとても勉強になります。他にもひとりで居酒屋いって教えてもらうこともありますね。

 

効果はでてきていますか?

成田 :積み上げたことがちょっとだけ出るようになってきたのかなと感じることがあります。昼のラジオも変わってきました。リスナーさんにも「スムーズに話を展開できるようになったね」といわれました(笑)

 

「熱血テレビ」の中でも山口の方と触れ合うコーナーがありますね。

成田 :『成田こーきと申します!』というコーナーです。1年目の長井アナウンサーとよく取材先で間違われるんですよね~」とディレクターさんにいったら、「もっと山口の人と触れ合わなきゃだめだよ」と、わざわざ企画してくれました。

 

どんなコーナーなんですか?

成田 :僕の名刺を配って知ってもらうというコーナーです。配ることで地元の人と触れ合って、山口のいいところを探すのが目的です。名刺を配った人におすすめのスポットを聞くと、雑誌とかには載っていないようなところを教えてくださるんです。山口出身のディレクターでも知らないことがでてきたり、いろいろな発見がありますね。名刺は1万人に配る予定です!

 

今、何か課題はありますか?

成田 :僕の場合、いかに“山口県人”になれるかが課題です。先ほどのバスの例もそうですが、サイクリングでいろんなところを回って地名や地形を覚えるようにしています。たまに道に迷って(笑)それが地元の人と話すきっかけになったこともありますね。ナビを使わなくても山口県を案内できるとか・・山口県人になれるといいなと考えています。

 

今後挑戦したいことはなんですか?

成田 :大学時代、ABCラジオでバイトをしていたんですが、そこでラジオドラマの面白さを学んだことがあって、いつかラジオドラマやりたいと思っています。あとはスポーツのほかにも音楽が好きなので、局主催で音楽イベントを企画したいですね。

そういうことやっているのはFM局が多いと思うんですけど。実はここ周南ってライブハウスが多いんですよ。だからそういうところと組んで、フェスとかやりたいなと考えています。県外から若い子達が来て湯気を出すほど熱くなってくれればいいですね!

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