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2017.11.8

「おかえりなさ~い」の「福井テレビ」ローカル探訪

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1969年開局。94年には中国・韓国の放送局と3局で友好協約を締結。毎年、番組を共同制作したり、社員が相互訪問するなどの交流を続ける。夕方ワイドで生放送中のレギュラー番組『おかえりなさ〜い』は99年に放送開始し、今年で18年目を迎える長寿番組(月‐金曜16:50〜19:00にて放送中)

※本記事は2016年6月発売のSynapseに掲載されたものです。


メインスタジオは中継先!?18 年目の情報番組に突撃取材しました!

今回の番組『おかえりなさ〜い』

報道制作局 制作部
倉橋 毅さん

2005年入社。営業・制作・報道番組部などを経て現職。
現在、『おかえりなさ〜い』のチーフディレクターとして、日々の制作に深く携わる。

 

チーフディレクターにシナプス編集部がインタビュー。制作上の様々な工夫について伺った。「2014年7月に、社内スタジオメインから外部の中継先メインに変更しました。社内スタジオをメインにしていた時はライブ感がなかったんです。外をメインにしてみるとやっぱりライブ感が出るんですよね。

一般の福井県民の方々にもゲストとして出てもらっているのですが、社内スタジオではなく、中継先に来てもらって、そこから出演してもらっています。今の時期は西武福井店前をメインでやってますが、冬は寒いので県内のショッピングセンターなどに移動して、週ごとにあちこち巡るんです。

今は広告塔の2人のMCおよび大勢のスタッフ陣が行くので、県民の方々も『自分の地域に来た!』と思ってくれているようです。中継先がショッピングセンターの時は、そのテナントの方々に優先的にゲスト出演してもらうので、行く先々で喜ばれてます。ショッピングセンター担当のうちの営業部員からも喜ばれてますね(笑)」

県内の新情報をいち早くとらえるための方法も検討中だ。「この番組に出演してもらった県民ゲストの方々は、一般人ではあるものの、その人的ネットワークは相当広いので、番組のブレーンみたいになっていただこうと考えています。5人の番組Dそれぞれに、旅行や家事などの得意領域があるので、その領域ごとに人的ネットワークを掘り下げて、教えてもらえる関係性をつくろうとしています」

有名タレントを出演させるための工夫も欠かさない。「ウチの番組だけだと予算がないので(苦笑)、当社制作の 『い〜ざぁええDay』(毎週金曜19:30〜)というバラエティとコラボしたんです。その番組はタレントさんを呼んで2日で収録するのですが、『おかえりなさ〜い』月〜金曜の計5本分も一緒に収録させてもらって、さらに生出演もしてもらいました。これは手ごたえがありましたね。両番組とも同じ部署でつくっているので、今後も可能な限り連携していきたいです」

 


毎年続けてきた日中韓3 カ国共同制作も2 0 年以上に!

広報編成部のお二人に、福井テレビならではの取り組みを語ってもらいました。
今回もまた“サシ飲み”じゃないけど!

 

― 地元の新聞社と人員交流をされているとか?

平野「当社の報道系の社員が2年ごとに福井新聞さんに出向させてもらっていますし、逆に福井新聞さんからも出向してもらっています。今は女性の記者さんが来てくれてますね。今回取材してもらった横山や畑も福井新聞さんへの出向経験者です。うちの特徴のひとつかもしれません」

 

― 福井新聞さん以外の会社との交流もあるんですか?

北嶋「中国の杭州文化広播電視集団、韓国の春川文化放送の、日中韓3カ国で毎年番組を共同制作しています。今年は『2016ぐるっとアジア〜東洋の麺〜』という麺がテーマの番組を制作しました。3カ国とも麺文化圏ですからね。福井はおそばの産地なので、そば打ちの模様なども放送しました」

平野「この3カ国での共同制作は1995年から毎年続いてます。過去には衛星を使った生中継を行ったり、それぞれの国の祭りや伝統などを紹介したこともあります。

国レベルでは政治的な問題があっても、我々レベルでは互いに訪問し合って親交を深めてきたんです。こういう交流を起点に、海外でも我々のつくった番組を見てもらったり、制作力の向上などに生かせればと考えています」

 

― すごくユニークな取り組みですね~♪ ずっと続けてくださいね!


10年以上にわたり、取材し続けてきた「敦賀に上陸した6,000 人のユダヤ人」の足跡とは?

 

報道制作局 制作部 副部長
畑 祐一郎さん

1999年入社。報道部、報道番組部、1年半の福井新聞社会部への出向を経て、現職。

 

ユダヤの方々の証言をこれからも次世代へと語り継いでいく。

2006年当時の上司から「ユダヤ人が敦賀に来ていたみたいだぞ」という話を聞いたのが企画の始まりです。敦賀の鉄道の歴史などを調べてみると、ユダヤの方々がシベリア鉄道でウラジオストクまで来て、船で敦賀に渡り、横浜まで鉄道に乗ったという記述があったんです。

そこから徹底的に取材して、最初に発表できた作品が、06年の『扉開きしのち〜敦賀に降り立ったユダヤ人の軌跡〜』です。この放送がきっかけとなって、08年に敦賀に資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」が開館して、後世に伝えていくひとつのかたちとして結実しました。この資料館の2階では、英語版も含めた短縮映像が何本か見られるようになっています。

その後も取材を継続し、13、15年にもそれぞれ続編を賞に出品してきましたし、他の企画もいれると計6、7本つくっています。また、年末年始やお盆には3本続けて流したり、このシリーズは何度も再放送し、見ていただいています。

06年当初に取材させていただいたみなさんのなかには、ここ数年で亡くなった方もいらっしゃって、この10年間が取材の最後の機会だったと強く感じています。今は、取材を通して得られたユダヤの方々の証言を次の世代へ語り継いでいくことが重要だと感じています。

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