近畿大学 総合社会学部 総合社会学科 准教授 岡本 健さん
アニメ聖地巡礼に代表される「コンテンツツーリズム」は、旅先での“いい出会い”を実現する理想像だった。観光学を専門とする岡本先生は、旅人も地元の人も楽しめる新しい「旅のカタチ」に魅了され、日々研究に励んでおられます。コンテンツツーリズムの成功の秘訣とは何なのか?観光とコンテンツ、両業界の発展にとって重要なトリガーとなり得る“データ”の意義についてもお伺いしました。
大学院進学を機に観光学へ
―岡本先生のご経歴と研究テーマの変遷についてお聞かせください。
大学の4年間は、北海道大学文学部で認知心理学というジャンルの研究をしていました。ざっくり言うと「音楽がなぜ音楽として聞こえるのか」という研究テーマです。音楽というのは、“単調な音の並び”と“ランダムな音の並び”の中間にあるものと捉えられます。たとえばずっとドの音しか鳴ってなかったらそれは音楽ではないし、だからといってものすごくランダムな音の並びを提示されたところで、それもまた音楽ではない。つまり音楽として聞こえるものは、その二者の間にあるものと捉えることができるんですね。
僕が具体的に取り組んでいたのは「人はどんな音を聞いたときにストレスを感じるのか」という研究で、良い音楽には適切なストレスが必要であるという考えのもと、人間が音から感じるストレスについて調べていました。やり方は単純で、血液量の変化からストレス数値が出るので、被験者の指先に脈派を測るセンサーをつけて、音の刺激を聞かせながら計測し、ストレス数値の変化を分析していました。医大の先生に教えていただいたり、工学部の防音室を借りて実験したりと、理系の学生のような生活でした。
─現在の専門である観光学とは全く違うことをやっていたのですね。
大学院に入るときに観光学にシフトしました。学部時代から大学の教員になりたいと思っていたのですが、当時専攻していた心理学は非常に競争率が高く、優秀な先輩でもなかなか大学教員にはなれていませんでした。現実的に考えたとき、数年後に自分が夢をかなえるのは厳しいなという消極的な理由があって、別の専攻に進むことを考え始めました。そんな時、ちょうど私が学部を卒業する年に、北海道大学に観光の大学院ができるということで、1期生の募集があったんです。観光学ってあまり聞いたこともないし、新しい分野でいいなという気持ちがあって、やってみようと。
積極的な理由としては、観光ガイドへの興味があったことも大きいですね。北海道大学は、札幌の観光ガイドブックでも見開き両面で紹介されるような観光地だったので、大学のなかに学生ボランティアガイドがあり、僕も所属していました。市民や、修学旅行で訪れた学生への案内などをしていたのですが、あるとき「アイヌの記念館に行って、古老の方の話を聞いた」という高校生と話す機会がありました。アイヌの歴史はどうしても差別と切り離せず、強い調子で責められて泣き出す子や、謝罪する子までいたそうです。
その話を聞いて、僕は「もう少しいい出会い方はないのかな」と思ったんです。その場所のことを好きになって、大人になっても、またそこを訪れたくなるような、幸せな出会い方をして欲しいと思ったんです。その上で差別の歴史も学べたら、もっと自分事としてとらえられるのではないか。そう考えました。学習効果が高くて再訪したくなるような修学旅行のデザインはどうすればいいのか。じつはそういうところに興味があって、観光学へ進むことを正式に決めました。
アニメの聖地で見た“出会い”の理想像
─大学院時代はどのような研究をしていましたか?
2007年4月に大学院に入ってからは、ボランティアガイドの研究や、修学旅行やバスガイドなど、観光の現場で人にものを伝える人たちについての研究に取り組んでいました。その研究を1年ほど続けていたのですが、2008年3月頃、アニメ『らき☆すた』の聖地に行ってみたときに、興味深い光景を見たんです。地元のおじいちゃんと若いアニメファンが談笑していて、しかもよく話を聞いてみると「さっき会ったばかり」っていうんですよ。あまりに親しそうに話しているので、親戚か何かだと思っていたのですが。
─世代を超えた交流ですね。
たとえば、東京で山手線に乗っていて、隣に座っているおじいちゃんと話をするかというと、しないじゃないですか。アニメの聖地で、出会うはずのなかった人たちが打ち解けていて、しかもそのおじいちゃんも『らき☆すた』を何となく勉強しているわけですよ(笑)。世代を超えていることや、相互理解みたいなものも非常に面白いですし、これが一番、僕が求めていた「いい出会い方」を体現しているのではないかと思いました。そこからアニメの聖地巡礼の仕組みを調べてみたくなって、今に至っています。
─『らき☆すた』の聖地に行こうと思ったきっかけは?
mixiのニュースコーナーです。たしか、聖地である埼玉県の鷲宮町へのバスツアーが行われるという主旨のニュースが出ていたので、行ってみることにしました。僕はその頃まったく“萌えアニメ”に詳しくなくて、『ドラえもん』とか『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』などが好きで、美少女アニメは見たことがありませんでした。だからファンの人から「嫁、誰ですか?」って聞かれたとき、これって「どのキャラが好きですか?」っていう意味なのですが、僕は何も知らないので「まだ結婚していません」って普通に返してしまって、鼻で笑われましたよ(笑)。
そんなところからスタートして、いろんな人に教えていただいたり、アニメを見て勉強したり、ファンの人や地域の人に話を聞いたりながら、聖地巡礼をはじめとしたコンテンツツーリズムの調査・研究を進めていきました。
聖地巡礼が生むダイナミズム
─これまでの研究成果や発見についてお聞かせください。
博士論文が『アニメ聖地巡礼の観光社会学-コンテンツツーリズムのメディア・コミュニケーション分析-』(2018年9月/法律文化社)という本になっていて、2019年7月に観光学術学会から著作賞を受賞しました。評価をいただいた一つのポイントとして、アニメ聖地巡礼が、情報社会の旅行者の特徴を如実に示していたことが挙げられると思います。今は多くの人がスマートフォンを持っているので、旅行者がネットを使うのは普通のことですが、2009年の段階では、まだそこまで一般的ではありませんでした。
そのような時代において、聖地巡礼を行うアニメファンは既にインターネットにどんどん情報発信をしていたのです。アニメファンはPCをはじめとした機械類にも詳しい人が多いし、アニメ文化とネット文化は非常に相性が良く、秋葉原などは両者が融合した象徴的な街でしたよね。「発信する旅行者」「表現する旅行者」がいち早く見られたジャンルが、まさにアニメ聖地巡礼だったと考えています。
─岡本先生が調べていくなかで、特に興味深いと感じたポイントは?
地域の人とアニメファンという、普段は全然違う場所で、違った価値観を持って生活している人たちが交流をすることで生み出されてくる創造性や面白い取り組みです。本のなかでも紹介している『らき☆すた神輿』は、埼玉県の鷲宮で行われる「土師祭」に2008年から登場したのですが、コンテンツ産業サイドが仕掛けようと思っても、なかなか実行できないような試みですよね。
反対に、地域の人やアニメファンが考えついても、おそらく単独で実現することは難しいでしょう。皆が集まったからこそ出来上がったもの。聖地が創作と創造の源泉になっている。ここが、一番惹かれた部分です。ネット上では集合知でウィキペディア等が作られていますが、リアルワールドでハイブリッドなコミュニティができて新しいコンテンツが作り出されるという、ある種のグループダイナミズムが生み出されているような印象があります。
─ほかにも同様の事例があれば教えてください。
色々あるのですが、たとえば「飛び出し女子高生」。関西の道路には、よく子どもの飛び出しを注意喚起する「飛び出し坊や」という民間標識が設置されています。『けいおん!』というアニメの舞台になっている滋賀県豊郷町は、「飛び出し坊や」発祥の地ともいわれる湖東地区にあたるので、特に数が多いんですよ。
『けいおん!』ファンが聖地巡礼で豊郷に来たときに、「飛び出し坊や」を見て興味を持ったそうで、次に来訪したときにマックブックで作った『けいおん!』キャラクター版の「飛び出し坊や」のデザインを地元の人に見せたんですって。そこから話が進んで、地元の人とファンが一緒に作って実際に設置することになったと。そこからすぐに利益が出るような話ではありませんが、公式ではなかなかできないことですし、とても楽しくなる取り組みですよね。こういう旅行者を楽しませる仕掛けの積み重ねが魅力ある観光地を作り上げていくと思います。
もう一つは金沢の「ぼんぼり祭り」。『花咲くいろは』というアニメで描かれたオリジナルのお祭りを、舞台のモデルとなった湯涌温泉が本当にやっちゃった!という話です。このオリジナルのお祭りも全くの出鱈目ではなくて、昔その土地で本当にあったお祭りを調べたうえで描いたらしいんですよ。地域の方にお話を伺うと、「昔からあったお祭りは無くなってしまっていたけれど、せっかくアニメで描いてもらったから、これを地域のお祭りにしよう」ということで開催していると。いつかアニメファンが全然来なくなったとしても、地域のお祭りとして続けていくと仰っていました。
でも、2011年に始まって今年でもう9年目になりますが、ファンはずっと来ていますし、ぼんぼりに名前を書いてもらうお金も集まり続けています。また、地域の人との関係性ができたり、働く場所が見つかったりして、移住してくる人も出てきているそうです。そんな“つながり”が新たに出来ているというのも、すごく面白いなと思います。