株式会社xenodata lab.(ゼノデータ・ラボ)
代表取締役社長 関 洋二郎氏
テクノロジーを駆使した財務とITの両方でキャリアを積んでこられた関さんは、膨大な情報を扱う財務とITの意外な親和性に気づきました。その経験をもとに描いた次なる世界は、 企業や経済の“分析”や“将来予測”に、自然言語を理解したAIを投じること。テクノロジーの介入が困難と考えられてきた分野に世界初の大変革をもたらした傑士に、開発の背景や先々の展望、内なる情熱について、深く語っていただきました。
公認会計士からITの世界へ
―会社設立以前のご経歴をお聞かせください。
慶應義塾大学商学部に入学後、3~4年生の2年間は公認会計士試験の勉強をしていまして、4年生のときに合格しました。在学中の合格は当時は珍しかったですね。4年生から、あらた監査法人というPwC系の監査法人で働き、卒業後もそのまま勤務しました。
─晴れて公認会計士としてデビューされたんですね。
5年ほど財務諸表監査という業務に携わったのですが、そのとき僕が所属していたのが、あまり会計士が行かないようなITを使った監査を行う部門だったんですよ。データを使った監査やシステムの監査など、半分くらいは会計士業務とは全然違う業務もやらせてもらっていました。その部署にはエンジニアとかIT寄りの人が集まっていて、会計士だからといって優遇される環境ではなく、ずっと「お前、こんなことも知らないのか!」と言われながら育ってきましたね(笑)。
そんな環境でITの知識を得ながら、財務とITは非常に親和性の高いエリアであるにも関わらず、世の中にはそういったサービスが全然ないということに気づいたんです。僕は財務とITの両刀でやってきていたので、「何かできないかな」とずっと考えていました。そんなとき、ご縁がありまして(株)ユーザベースという会社に転職することになりました。
─公認会計士から(株)ユーザベースに転職されるのは異色ですよね。
事業開発責任者として、企画、データの選定・交渉、製品の設計など、会社の事業開発に関わる仕事をしていました。具体的には、次はどのようなプロダクトにするか、どういった会社と連携するか等を考えていく仕事ですが、主には設計三昧の日々でしたね。製品の設計をして、開発・品質保証というプロダクト側の現場の責任者をやっていました。そこでいろんなクライアントの意見を聞きながら、より多くの経済情報をワンストップで届ける「SPEEDA」というサービスを提供していました。
─そこでは公認会計士の資格は活かせたんでしょうか?
SPEEDAのデータの根幹は財務データなので、財務や開示実務の知識がキーになります。財務に精通していないとマネージできないので、専門知識はかなり活かせていました。
ただ、SPEEDAはどんどんデータを入れて増やしていく方針で、タイの未上場企業データの次は、ベトナム、フィリピン…。データが豊富だとユーザーは喜んでくれるし、顧客が求めるデータを載せればこちらの売上も上がりますが、「横に広がるだけがユーザーの要求なのか」という疑問を抱くようになりました。横に広げるだけではなく、そこから結局何が言えるのか、どの企業がどんな形で伸びるのか、将来どうなるのかといった情報こそが、求められているのではないかと考えるようになりました。
将来予測への着眼と、自然言語処理への挑戦
─(株)xenodata lab.設立には、どのようにつながるのでしょうか?
SPEEDAの開発業務をやる中で、先述のように大量のファクトベースの情報を提供するのではなく、将来に対するインサイトを提供することこそが、世の中を前に進めるための重要なエッセンスなのではないかという想いが芽生えました。それを「自分でやってみよう」と考えたのが設立のきっかけです。
それをどのように実現していくかを考えたとき、自然言語処理という技術を用いて、世の中の定性的な情報を整理していこうと考えました。会計士をやっていると、どうしても定量的な思考になりがちなのですが、定性的なデータの整理・分析ができていないという課題感があったので、そこからやっていこう、と。それによって将来を予測できるのではないか、という発想に至ったんです。これは創業後に思いついたことではなく、ほぼ最初から考えていましたね。一つの情報から経済事象間の因果関係が繋がっていく画は創業初日から描いていて、プレゼン資料にも載せていました。
─自然言語処理はかなり難しい分野ですし、ITといっても独特の解析技術が必要で、大変だったんじゃないですか?
SPEEDAの開発をやっているときに、開発の流れをほぼイメージできていたので、大変だというのは想定内でした。そして、やってみたら想像どおり大変でした(笑)。
綺麗なプログラムを書いたらすぐにユーザーが喜んでくれるという性質のものではなくて、最初は「人間が書いたほうがいいんじゃないか」というところから始まります。そこに膨大な努力を注ぎこんで、徐々に良くなっていって、ようやく少し前進するという感じ。それをやり続ける、やり切ろうとするのは合理的ではなく、大変さが参入障壁を高くしているといえます。おそらく、当社が相当成功しない限りは、後から誰も参入できない。だからこそ僕としては、大変さが戦略を変える要因になることは、全くありませんでした。
─設立後の初期段階で苦労したことは何ですか?
ありきたりですが、お金ですね。組織を動かすにも、商品を作るにも、お金がかかりますから。設立当初は特に、資金調達が初めてだったので、やはり大変でした。世界一のプロダクトを作れる自信はあったものの、お金と時間を作るのは特殊技術だと思うので、自分がそれをやりきれるのか、やったことがないことをできるのかと不安がありました。そのため十分にリソースを割かなければと思って取り組むのですが、資金調達ばかりに集中しているとプロダクトが疎かになってしまうこともある。難しかったですね。
─その資金調達にも目途がついたと伺いました。
設立後、3年間で3回の資金調達を行ってきましたが、決してトントン拍子ではありませんでした。苦労を重ねて何とか生き抜いてきた、その連続ですね。おそらく99%のベンチャー企業の資金調達のプレスリリースは、ものすごい苦労の上でのリリースで、すんなりいく会社なんて滅多にないんじゃないかと思います。三菱UFJ銀行や帝国データバンク等、初期の株主のバックアップは非常に大きかったです。特に三菱UFJ銀行は金融機関トップですし、銀行直接出資というのはかなりレアケースです。本気度が伝わるようなスキームが、他社からも信頼していただける大きな要因になったと推察しています。それからは実績を重ねることで後に繋がっていきました。
“世界初の経済予測”を実現に導いたもの
─志を共にする仲間も重要だったのでしょう。
もちろん、同じ想いで集まったメンバーです。ただ、僕はやると決めたからには、一人でも、誰とでもやるという気持ちがありました。最初に誘った人が「いいよ」と言ってくれたので即決しましたが、もし彼がいなかったとしても、違う人を世界中から探すつもりでいました。
ちなみに、現在のメンバーは、エンジニアが20名、ビジネス担当が11名です。我々は敢えて職務分掌せず、よりフラットにして全員がオーナー思考を持っていこうという方針なのですが、現実的には専門性が違いすぎるところもあるので、さすがにテクノロジーだけは分かれています。ただ、プロダクト的には「皆で作っている」という意識で、ビジネスと関係なくミーティングをすることもあって、分かれてはいますが気持ちは一緒です。
―サービス化までに必要となる膨大な要素は、どうやって埋めていったのでしょうか?
多方面に意見を求めていくことも一つの方法です。要件そのものに関してもそうですし、データチェッカーやデータ入力などもたくさん抱えていますので、すべてをAIでやりきろうとするのではなく、人の力も必要なんです。アメリカの起業家・投資家であるピーター・ティールがよく言っているのが、「75%のテクノロジーと25%のヒューマンリソースが、イノベーションの構成比なのだ」ということです。すべてをテクノロジーでやるのは無理で、25%のヒューマンリソースが極めて重要な要素であり、それを組成してやりきるところも大事。
1つの会社で2つのイノベーションを起こしているイメージなんですよ。テクノロジーのイノベーションもありますし、25%のヒューマンリソースで学習データや辞書データを構築する過程もあります。その両方が必要というのが、サービス化までの壁ですね。
─25%のヒューマンリソースの必要性を知っていたからアプローチできたのでしょうか?
意識していたわけではないのですが、前職で一緒だったエンジニアのメンバーが、「25%の部分で何が重要で、それをやりきるオペレーションまで全体を考えられるのが、関さんのスゴイところだ」と言ってくれました。「全体を見て、何をテクノロジーで何をヒューマンリソースでやるのかが全部見えている」と。エンジニアはどうしてもテクノロジーに偏ってしまい、25%のヒューマンリソースの部分がわからないから「それはできない」と判断してしまう。逆にビジネスを主体にしている人は、テクノロジーが理解できずにマニュアルでやろうとしてしまうんですよね。
─関さんの資質と経験、両方の賜物ですね。
前職ではかなりヒューマンリソースを使っていたので、「どんなものが必要で、それをやりきるには何が必要で…」という考え方が染み付いていて、それが良かったのかもしれません。より効率的にインプットする方法や、逆に大量のデータを一瞬でアウトプットする方法などを目の当たりにして、自分でもやったり真似したりしていたので、自然と感覚が培われた部分があるのではないかと思います。
エンジニアからすると作業の濃度が金額ベースでわかるので、「だったらこれはテクノロジーではなく人間の手でやっちゃおう」とか、「人間でやったら膨大なコストがかかるところをテクノロジーでやろう」とか。前職での知見があったから、そういったアロケーションがスムーズにできたと思います。自分で言うのもなんですけど(笑)。
─会計士としてのスキルも役立ちましたか?
財務系の知識を人より持っていたことは武器になったと思います。しかも会計士時代からデータ監査で数億円の仕訳データを扱ったり、2社目でSPEEDAの財務モデルを設計したりしていましたからね。全然関係ないようなところがつながっていて、今に至っています。
起業家ってみんな「これをやらせたら自分が一番だ」と思っている部分があると思いますが、僕もそう思えているからまったく不安がないです。そう言えるのは、人とは違った経験をしてきたからかもしれませんね。