東京大学名誉教授 松原 望氏
現在、「AI(人工知能:Artificial Intelligence)」に関する話題は、テレビや新聞、雑誌などで毎日のように取り上げられています。しかし、肝心の「AIとは何か」に関しては、実はよくわからないという人が多いのではないでしょうか。そこで今回は、AIの中核をなすベイズ統計を専門とされる東京大学名誉教授 松原 望先生に、「AIは私たちの社会をどう変えるのか」「来るべきAIの時代に人間はどうすればよいのか」などについてお聞きしました。
人間の顔をした「ベイズ統計」とは
―いまではAIという言葉を聞かない日はないというほど、あちこちでAIが話題となっています。しかし、肝心のその中身についてはよくわかっていません。
ご指摘のように、いまAIは大変なブームになっており、さまざまな分野で話題となっていますが、その大半はAIとはあまり関係のない話だったりします。実際に、専門家のあいだですらAIの明確な定義は存在しないのが現状ですから、ブームに煽られて右往左往するよりも、AIについてはもう少し落ち着いて考える必要があると思います。
―AIをめぐってさまざまな言説が飛び交うなか、先生が研究されている「ベイズ統計」は、AIの根幹をなす理論として注目されつつあります。
まずはこの「ベイズ統計」について教えていただけますか。
ベイズ統計は、1700年中期にイギリスの数学者トーマス・ベイズによって考案された「ベイズの定理」を基礎とする統計学です。
「ベイズ統計」が従来の統計学とどこが違うのかといえば、従来の統計学や確率論では扱えなかったものごと、たとえば私たち人間の“主観”が、確率や統計に大きく影響するような事象についても扱えるようになったという点にあります。
―それは、具体的にはどのようなケースですか?
簡単にいうと、従来の確率論では「サイコロを振ったときにどの目が出るか」といったケースしか扱えませんでした。サイコロの目は1から6までありますから、どの目も出る確率は6分の1となります。ここには、人間の思惑や干渉が入る余地がありませんね。このように客観的な条件が確定している事象を「客観確率」といって、従来の確率論ではこの「客観確率」を扱っています。
しかし、ベイズ統計では、こうした「客観確率」だけではなく、たとえば株価の変動のように、人間の主観が介入する事象を扱います。こうした人間の思惑や期待などが介在する事象を「主観確率」と呼んでいて、ベイズ統計では主にこの「主観確率」を扱うのです。
私たちの社会で起きる事象は多種多様で、必ずしもサイコロの目のように明確な出来事ばかりではなく、常に流動的に変化しています。そんな複雑な事象についても数学として扱えるのがベイズ統計の大きな特徴といえるでしょう。
―現代のように高度に複雑化した社会では、従来の統計学よりもベイズ統計のほうがより広範な事象に適用できますね。
その通りです。しかし、数学の専門家のあいだでは、ベイズ統計のような「主観確率」を扱う確率論や統計学は科学的ではないといって異端視する人もいます。
確かに、これまでの大量生産・大量消費を基本とする時代においては、「客観確率」だけを扱う従来の確率論でよかったともいえます。たとえば、大量の製品を製造する工場で行う品質チェックなどについては、不良品の出る確率を機械的に割り出す必要があり、こうした場合は従来の確率論で正確な結果を得ることができました。
しかし、よく考えてみれば、不良品の発生率がいくら明確になっても、その後どうすればよいのかまではわかりません。従来の確率論や統計学では、確率は導き出せるけれども、その数字がいったい何を意味しているのか、その結果を基にどう対処すればよいのかまでは不明です。というのも、そこには、必ず人間の判断や主観が介入してくるからです。ベイズ統計が扱うのはこうした人間の主観が介入してくるケースで、それが「人間の顔をした数学」と呼ばれることがあるのも、そうした意味からなのです。
数学から文理の垣根を超えて
―いままでのお話は先生の研究テーマでもあるゲーム理論における「意思決定」の問題とも関わってきますよね。
そうですね。数学の世界では昔からの問題で、確率論や統計学は「意思決定」を含むのか、それとも含まないのかと、盛んに議論されてきました。従来ですと、統計学は分析結果を出すまでで、その後の意思決定については人間が行うものだという考えが一般的ですが、私は、確率論や統計学でも、「意思決定」を扱えると考えたほうが単純に面白いと思うんです。
たとえば、あるマーケットを分析した統計結果を出すときに、単に分析結果を導き出すだけでは面白くない。私だったら、その結果に基づいて経営戦略をどう立案すべきかまで考えたいんですね。しかし、そこまでいくと数学の範疇を超えてしまうんです。
私がいわゆる文転(理系課程から文系課程への専攻変更)を決意したのも、結論だけ出して後は考えないということに物足りなさを感じたからです。スタンフォード大学でゲーム理論を学んだのも、そうした考えからのことで、「意思決定」の研究を通じて、経営工学や経済分析、国際関係などの社会科学に興味が移行していったんです。
―理系と文系の垣根を超えた先生の活動には、そうした理由があったんですね。
現在の学問領域ではどうしても文理を隔てる壁が高く、特に、日本ですと文系と理系が共有できるベースとなる価値基準が存在しないことから、コミュニケーションがままならないことが多いと感じています。理系同士だと数学をベースに共通理解できるのですが、文系の多くは人間が相手ですから、明確な答えが出る学問ではありません。
しかし、これからの社会は、文系と理系の垣根を超えた協力が不可欠だと思います。
―特にAIの分野ではそう言えるのではないでしょうか。
私も、そう思います。そもそもAIには、人間の知的活動をコンピュータが代行するという要素が強いですから、「人間とは何か」「知能とは何か」「創造性とは何か」といった問題が大きく関わってきます。こうした問題を理系の研究者だけで考えるのは無理がありますし、やはり理系や文系など関係なく、AIについては、さまざまな分野の専門家が協力しあうことが重要になってくるでしょう。
意外と身近な、ベイズ統計が可能にするAIの学習能力
―先ほどお伺いしたベイズ統計ですが、具体的にはAIにどのように応用されているのですか?
先ほど、ベイズ統計では「客観確率」ではなく「主観確率」を扱うと説明しましたが、たとえば「ある男性が、ある女性からバレンタインのチョコレートをもらったら、どう感じるか?」といった身近な例で考えるとわかりやすいかもしれません。
この場合、実際には男性が女性からチョコレートをプレゼントされるかどうかは、その二人の関係性、つまり「二人は恋人同士なのか」または「上司と部下の関係なのか」といった条件によって変わってきます。
とりあえず、そうした条件が不確定な時点では恋人か上司部下かの確率は半々ですので、最初の確率は50%となります。これを「事前確率」といいます。
次に、たとえば「チョコレートが送られてきた」という情報を得たとしましょう。この情報をインプットすれば、恋人である方がチョコレートは来やすいので、当然確率は変わってきます。恋人の確率が高くなりますね。これを「事後確率」といいます。
そして、さらに新しい情報がインプットされれば、その都度、確率が変動していきます。つまり、インプットできる情報が増えれば増えるほど確率の精度は高まっていくのです。
このようにベイズ統計では、最初にとりあえず確率を設定しておき、情報が入るたびに“その時点での確率”を変更していくことができます。これは、何に似ているかというと、人間が持つ“学習能力”に似ているのです。ベイズ統計が持つこの特徴こそが、AIの重要な機能であるディープラーニングや機械学習の基礎になっているんです。
―新しい情報をどんどん追加していくことで、少しずつ正確な確率が導き出されていくのは、まさに人間と同じですね。
実際に、ベイズ統計を基礎とするAIの学習能力は、すでに実用化されていて、代表的な例としては迷惑メールやスパムメールを判別して除去するフィルターなどが挙げられます。「ベイジアン・フィルター」とも呼ばれるこのフィルターでは、事前に迷惑メールについての定義(特定のキーワードの抽出など)を作っておき、その運用を通じて分別されたメールの法則をAI自体が学習していくことで、日々変化する迷惑メールに対処することができます。
―その他の具体例もお聞かせ下さい。
そうですね。たとえば、因果関係を確率により記述できる「ベイジアン・ネットワーク」の考え方は、すでに医療現場における病気診断のサポートツールとして活躍していますし、いわゆるビッグデータに基づくマーケティング分析などの分野でも実用化されています。
さらに、近年、人工知能の開発に欠かせない研究テーマとして、人間の脳神経系のニューロンを数理モデル化した「ニューラル・ネットワーク」が挙げられます。このニューラル・ネットワークは、人間の脳から着想を得たもので、神経細胞がシナプスでつながっている仕組みをコンピュータ上で表現するために作られた数学モデルとして、現在のAI開発には欠かせない研究分野となっています。神経細胞の働きがベイズ統計でモデル化できるのです。
現在話題となっているディープラーニングも、このニューラル・ネットワークの発展形で、ここにシグモイド関数と呼ばれるベイズの定理に基づいた関数が活用されています。
このように、ベイズ統計というとなんだか私たちの生活には縁遠いものだと感じがちですが、目に見えない形でベイズ統計が活用されているケースは、挙げればきりがないほどで、意外と身近な存在なのです。