サポーターとクラブチームが一緒に歩み、歴史を作り続ける アルビレックス新潟 専務取締役 是永大輔さん(アルビレックス新潟シンガポール元社長)

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サポーターとクラブチームが一緒に歩み、歴史を作り続ける アルビレックス新潟 専務取締役 是永大輔さん(アルビレックス新潟シンガポール元社長)

アルビレックス新潟 専務取締役 是永大輔氏



デンカビッグスワンスタジアム(通称ビッグスワン)をホームタウンとするアルビレックス新潟。Jリーグの中でも屈指の情熱を持ったサポーターの支えもあり、2004年にJ1に昇格して以降14年間J1を守り、観客動員数もトップクラスを誇っていました。しかし、2018年はJ2に降格、さらには16位という順位でシーズンを終える結果に。 そんな中で、救世主となるべく同クラブの専務取締役に抜擢されたのが是永大輔氏。アルビレックス新潟シンガポールのCEOとしてチームを現地のビッグクラブに成長させ、世界各国でサッカースクールなどのスポーツビジネスを展開されています。是永氏のこれまでの実績や、アルビレックス新潟の再興に向けたビジョンをお伺いしました。

FCバルセロナ会長の隣にサインをした編集長時代

サッカー関連のお仕事を志したきっかけは何ですか?

小学生の頃からサッカーが大好きで、マニアといっていいほどのめり込んでいました。大学は日芸なのですが、在学中も自分でホームページを作り、徹夜で寝る間も惜しんでパソコンに向かい、カタカタとサッカーに関する記事を書いていました。記事といってもほぼ誰も読んでいないようなPVでしたけれど(笑)。

大学を卒業するタイミングが2002年で、ちょうど日韓ワールドカップが開催されていたこともあり、「やっぱりサッカーに関わる仕事がしたい」と思うようになりました。

そこで、携帯サイトでサッカーメディアを運営していた企業に入社されたのですね。

アルバイトでもいいから好きなことをしたいと思って、たまたま求人で見つけたところでした。時給は当時800円程度でしたが、それまではパソコンに向かって記事を書いても無給だったので、好きなことをして給料ももらえるのかと感動でいっぱいで、もう仕事が楽しくて仕方がなかったですね。その姿が「一生懸命、頑張っている」と認められたのか、すぐに社員登用され、編集長にも就任しました。

"仕事"と称してたくさんサッカーを見て、"取材"と称して年間の3分の1ほどは海外のサッカー観戦に行き、"ネットワークを広げるため"とお酒を飲みながら交友関係を広げる...といった具合で、これはなんて素晴らしい人生なんだろう!と思っていました。

中でも最高だったのは、熱烈なファンだったFCバルセロナでのエピソードです。「日本でモバイルサイトを展開しましょう」と、バルセロナやマンチェスターユナイテッド、リバプールなどに飛び込み営業に行ったところ、FCバルセロナで契約が取れたんです。いざ契約書にサインしていただく際に、当時の会長だったジョアン・ラポルタ氏のサインの隣に当時26か27歳の私のサインがあるわけです。これはもう夢の瞬間でした。

順風満帆な編集長としてのキャリアの中で、アルビレックス新潟シンガポールの代表に転身されたきっかけは何でしょうか?

そもそもモバイルサイトの運営には様々な事業が関連しており、代表的なものでいうと広告、MD(マーチャンダイジング)などがあります。ですから、モバイルを通じてサッカービジネスを一通り経験できていたという自負がありました。

そんなときにアルビレックス新潟シンガポールの新社長を探しているという話がきて、「俺がやります!」と手をあげました。


独立採算制を実現すべく、現地でカジノを経営

クラブの代表という責任重大な仕事に、即答できたのはなぜだったのでしょうか?

もともと私のバケットリストの中に「サッカークラブの社長をしたい」というものがありました。とはいえ、もっと年齢を重ねてからのことと想定していましたが、新社長の話は29歳の時です。すぐにこれはチャンスだと思いましたが、今思えば一大決心でしたね。

就任してから知ったのですが、毎年赤字を計上していて、シンガポールから撤退しようという計画もあったようです。さすがにそれについては、先に教えて欲しかったですけどね(笑)。

赤字だった原因についてどのように分析されましたか?

クラブ経営において、日本のアルビレックス新潟から毎年送金される数千万円がなければ成り立たない状態でした。ですから、それがなくても運営できる独立採算の体制を作らないといけないというのが大きな課題でした。

「アルビレックス新潟シンガポールとは何を目的とした組織であるのか」というアイデンティティの部分に立ち返る必要もありました。というのも、当時のアルビレックス新潟シンガポールの立ち位置として、日本のアルビレックス新潟の若い選手たちをシンガポールに送り、1年ないしは2年プレーさせて育成することを狙っていました。しかし、それだけが目的では、新潟に戻れない場合はどうするのか?という問題に突き当たってしまうのです。私が就任した当時の新潟はJ1でプレーしていたため、シンガポールで頑張っている若手が新潟に戻るチャンスがなかなか得られず、結果的に育成が失敗に終わっていました。

そこで、違うストーリーを作る必要がありました。新潟に戻るというのはもちろん一つの目標ではあるのだけれど、それだけにとらわれず、シンガポールをステップとしてさらに海外に出ていこう、要は海外で活躍するためのハブ的な場という再定義をするということです。

それが2008年ですね。

まず最初に着手したのはカジノ経営です。「サッカークラブがカジノ?」と驚かれるかもしれませんが、シンガポールの他のサッカークラブがカジノ経営をしており、そこが既得権益だということで、我々もすぐに取り組みました。とはいえ海外のクラブだから手続きが大変で、申請が通るまで足掛け3年程かかりました。

当初はクラブチームの1年の予算規模が8千万~9千万円でしたが、それが今25億、来年は40億です。

潤沢な資金のおかげで強豪チームに成長し、2018年には3年連続の全冠制覇を達成。世界を目指す若い日本人選手が活躍する場となりました。

逆にいうと、シンガポールではカジノなしではサッカークラブの経営が成り立たない、ということでしょうか?

その通りです。カジノと分配金でクラブが回る。ですから他のクラブは経営において努力しない面も否めません。

とはいえシンガポールでは海外のクラブである我々が他のチームと同じことをするだけでは、現地で信頼を得ることはできません。パートナー企業を募るなど積極的に地域貢献を行い、応援してくれているパートナー企業、サポーター、現地の日本人、シンガポールに住む人、ステークホルダーそれぞれに意味がある存在になろうと、様々な施策を取ってきました。同時に、シンガポールという国自体もステークホルダーなので、彼らに「ありがとう」といってもらえるような状態を作らないと継続できないという危機感を持って取り組んでいます。それは日本のアルビレックス新潟にも言えることだと思っていますが。


アルビレックス新潟が愛される理由

お話に出たアルビレックス新潟には、今年9月に専務に就任されました。アルビレックス新潟シンガポールのCEOの業務とのシェアはどのくらいですか?

現状は9:1で日本のことをやって、シンガポールは現地の優秀な人材にほとんど任せています。シンガポールと日本、サッカークラブの経営を成り立たせるという点においては同じでも、切り口とやり方は全く変わってきます。

アルビレックス新潟は全国的にみても、地元に愛されているクラブで、動員数もトップクラスですよね。その理由は何でしょうか?

地元やサポーター、みんなのチームであり、みんなで歴史を作ってきたという背景があり、それがアルビレックス新潟の最大の誇りだと思っています。大きな声の人がリードしてきたわけではなく、一人ひとりがアルビレックス新潟を育ててきたという気持ちを持ってくれていて、これまでの積み重ねを愛してくれている。

もちろんこれからどうなるかわからないですけど、現状では予算規模として大きなクラブチームでもないし、ビッグネームの選手を招くことができるわけではない。しかし、「自分たちが良い雰囲気にしたら、選手がもっと頑張ってくれる」「一生懸命声援を送ったら、疲れている選手でも声に押されて最後まで走り抜いてくれる」といった、そういう実感がサポーターのみなさんの中でもあると思うのです。「俺たちのおかげで1点が入ったんだ」「私たちが勝たせたんだ」と、サポーターが自分たちの力を信じてくれているのです。

選手とサポーターがともにある、と。

前職でも世界中のスタジアムを見てきましたけど、こんなに温かく、雰囲気の良いスタジアムというのは他に類を見ません。

だいたいどこの国に行っても、荒くれ者の若者が、仕事がしたいとか、もっと給料が欲しいとか、日常生活の憂さを晴らしに来ていることが多いです。国内外問わず、アルビレックス新潟よりも観客動員数が多いクラブも当然ありますが、時には試合に負けて野次が飛ばされたり、暴動が起きたりもしています。しかし、アルビレックス新潟のサポーターたちは「愛情を与えたい、伝えたい」と思ってスタジアムに来てくれている。アルビレックス新潟から何かを受け取りたいというよりも、「アルビレックス新潟に何かを与えたいんだ、そのためにビッグスワンに来るんだ」という人が多くて。これは本当に特殊ですし、その姿は心が震えるほど感動します。

サポーターの方たちは、想いを伝える手段としてスタジアムに行って応援する。それが動員数に結びついているのですね。

サポーターの年齢層も実に広く、まさに老若男女が見に来てくださっています。年配の方が車椅子でいらっしゃってタオルを振ってくれている姿もありますし、小さな子どもたちも安心して観戦でき、ファミリーも多い。それらが一つのコミュニティになっていると感じます。もちろんどこのスタジアムもそうなのですが、そのコミュニティも同年代だけではなく、おじいちゃんと学生がスタジアムで知り合って飲みに行っているということが普通にある。なんかいいんですよ。しみじみと思いますね、すごくいいなあって。

共通項があるから、老若男女関係なく盛り上がることができるんですね。

職業も年齢も関係なく、同じ一つのことで人と人とが繋がっていく。アルビレックス新潟の場合はそれが幅広い。だからうちのサポーターはすごいと思う。

とはいえサッカーチームなので、試合の結果もそうですし「俺たちが思うアルビレックスじゃない」と思ったら、当然お客さんは離れていくでしょう。

正直な話、この数年はホームではなかなか結果を残せていなくて、負け試合ばかりでした。そうするとやっぱり客足は遠のきますし、その上、本来目指すべき「激しくてアツくて泥臭くて最後の最後まで諦めない」というアルビレックス新潟のサッカーからズレていたら、さらにお客さんが距離を置いてしまいます。

サポーター目線でオープンな情報発信を

サポーターと共にクラブを盛り上げていくために、来季は何か施策をお考えですか?

サッカーをはじめとするスポーツクラブは、どれだけアクティブ感を出せるか、露出できるかという要素が強いため、広く言うとクラブもひとつの"メディア"だと思っています。

空中戦と地上戦に分かれていて、空中戦というのは、自分たちのHPやSNSなども含め、新聞、ラジオ、テレビ、Webなど、いわゆるメディアを使うもの。地上戦というのは、地域の学校や病院への訪問といった、地に足をつけた活動、つまり"地域貢献"です。これら二つが合わさると、地域のみなさんの勇気の象徴になる。それがサッカークラブの存在意義だと思います。それを作り上げていくためには、空中戦と地上戦での活動をどれだけ活発に行っていくかというのが重要です。

従来のメディア活動に加えて、プラスアルファの何かをされるのですか?

もちろんこれまでもやっていましたが、ともすると待ちの姿勢になっていたかもしれません。何もしなくてもメディアは取材に来てくれる、黙っていても露出がある、と。

でもそれではいけません。こちらから働きかけ、露出の回数を増やしていくこと。クラブの価値を出していかないと人は飽きてしまいますから、当然取材の回数は減り、掲載スペースは小さくなり、興味を失っていく人が出てきてしまう。取材に来ていただけるような活動をして、スペースを取りに行こう、というくらい一生懸命やっていく必要があります。


SNS活用についてはどのように取り組まれていますか?

まだまだ弱いな、と今更ながらに思っています。ですが、少しずつですけどアクティブになってきており、双方向のコミュニケーションが生まれつつある実感を持っています。これまでは、あまり内部の情報を出さなかったので。

具体的にどういうことでしょうか?

例えば、選手の移籍に関することは、時にはデリケートな内容もあるので100を開示することは難しい。しかし、それを50でも70でも言葉にできるところまで伝えることで、発信を信頼してもらえると感じています。

「○○が復帰した」「□□がシンガポールから戻ってきた」などということも、そのバックグラウンドを出すと喜んでもらえます。やはりストーリーを共有することが大事ですよね。

もちろん、サポーターそれぞれにとって、心の琴線に触れるストーリーは違うと思います。それでもサポーターの気持ちになって、何が知りたいのか、何に喜んでもらえるのかといったところを、クラブとして純粋な気持ちで素直に出した方がいいように思っています。それは選手自身のメディアやイベントへの露出だったり、生の声を届けるようなことも含めて。何か特別なこと、派手なことをするのではなく、サッカー選手として子どもに夢を与え、地域の方々と向き合って表現していくような活動に力を入れていきたいです。

サポーターの意見やニーズについて、何か調査やヒアリングを行う機会はありますか?

試合日にはスタジアム広場で私自身が直接お話を聞いています。また、私個人のTwitterのアカウントには毎日色々なご意見が届いていますので、そこにアクションをすることもあります。

とはいえ、 「クラブとしてサポーターの意見を聞いています」という認識はありません。私自身もみんなで作ったアルビレックスの歴史の一員であり、いちサポーターです。だから同じ気持ちで「うん、うん」と共感しながら意見を交換しています。その上で、共有できることは共有したいと思います。現状は前述した「みんなで作ったアルビの歴史」だったり、「これがアルビのサッカー」というイメージから遠ざかっているので、そこに近づけるためには情報の共有というのが絶対に必要じゃないかと思っています。

来期は予算削減の報道も出ていましたが、これも共有の一環でしょうか?

ええ、5億円の予算を削減しなければいけないという発表をしました。この苦しい状況も、一緒に共有していかなければなりませんから。こういった共有がなければ「なんであの選手と契約更新しないんだ」とか「いい選手を取らないんだ」という声があがります。しかし、「現状の予算はこうです、だから優先順位はこうなんです」と説明すれば、「そうだったのか」とご理解いただけます。「できないことがあるんだったらどうすればいいんだ?」「自分たちにできることは何だ?」と、みんな思ってくれて一緒に戦ってくれる。

ヨーロッパのサッカークラブでも、ずっと右肩上がりのところなんてないですから。今が苦しくても、100年後には「アルビにもそんなことあったね」という歴史の一部でしかない。しかし、もしもクラブが消滅してしまえば、その歴史さえ無くなってしまうのです。だから今は耐えるときで、それをみんなでどうにかしようと。長い長いストーリーの中に自分たちはいる。一人ひとりがチームの歴史の一部なんだということです。


サポーターとクラブが手を取り合い、クラブの歴史を作り上げる

一般企業だと、顧客に対してここまでオープンな姿勢を取ることは少ないです。

クラブはいち企業ですが、実質的にはもっと公共的な存在だと思います。

だからといって、「これはクラブの仕事だよね」「これはサポーターにお願いするね」という役割分担ではないんです。役割分担にすると、ネガティブなことが起こったときに「何をしているんだよ、しっかりしろよ」とお互いになってしまいます。でもそれはアルビレックス新潟の姿ではない。

最近思うんですが、クラブとサポーターは見つめ合っているのではなく、一緒の方向を見て歩いていくもの、要は結婚のようなものだなと。時には喧嘩もするし、負の状況もある。それでも、家族の歴史として長く歩んでいくため、一緒の方向を向いて手を取り合っていくのです。

アルビレックス新潟が抱える事情は、他のクラブにも当てはまるのでしょうか?

それぞれの悩みは全然別だと思います。だから例えばFC 東京や川崎フロンターレがやっていることをそのまま真似してみようというのはナンセンス。逆も然り。もちろんベンチマークにしないといけませんが、環境は共通していない。

例えばビッグスワンで一番歓声が沸くシーンが、別のスタジアムでは盛り上がらなかったりしますし、場所が違うと求められるものも違う。アルビレックス新潟のサポーターは選手がとにかく頑張っていて、奪われたらすぐ奪い返しにいくようなプレーに大喝采が起きます。得点と同じくらい喜んでくれます。選手が頑張っている姿に自分を重ね合わせて、選手の良いプレーを見ることができたから気持ちいい、「これで明日からも頑張れるよ」と思える。「自分ごと」として想いを共有してくれます。

ですから、目指すサッカークラブと、サポーターが自分たちと同じ方向を向いてくれているのかは、しっかりアンテナを立てて感じていくことが必要です。

最後に、来季に向けて一言お願いします。

予算が限られていることは、もう決定事項ですから仕方がありません。ですから、もっと本質的なところに力を入れてステップアップをすることです。オン・ザ・ピッチでは、アルビレックスらしいサッカーをして、1勝を積み重ね、順位を上げていくこと。オフ・ザ・ピッチでは、地域と、サポーターと、もっともっと一緒に歩けるようなクラブチームにしていくことです。

来季も楽しみですね。ありがとうございました。


(了)


株式会社アルビレックス新潟 専務取締役 是永大輔(これなが だいすけ)

日本大学芸術学部演劇学科卒。携帯電話向けサッカーサイトの編集長を経て、08年にアルビレックス新潟シンガポールのCEOに就任。16年にアルビレックス新潟の取締役、18年には専務取締役に就任(アルビレックス新潟シンガポール代表兼任)。

【これであなたもアルビ通!?】

2019シーズン、アルビの飛躍に"早川史哉"選手は欠かせない!

2016シーズン、大卒ルーキーとしてアルビレックス新潟に加入した早川史哉選手。新潟市出身で、アルビレックス新潟のアカデミー組織(小中高校年代の育成チーム)を経て、早川選手がトップチームに加わったニュースは、地元でも明るい話題として注目を集めました。

J1リーグ開幕前のトレーニングキャンプで頭角を現した早川選手は、ライバル争いを制し、ディフェンダーとして開幕スタメンを奪取。持ち味である激しさ、またクレバーなプレーを90分間継続させて、チームの勝利に大きく貢献し、自身にとってもプロのキャリアを最高な形でスタートさせました。

しかし、同年5月に急性白血病と診断。クラブを通じて発表されたニュースに、サッカー界には大きな衝撃が走りました。いわゆるアンダー世代の代表にも選出されていた早川選手の突然の病に、多くのサッカーファンが心配し、復帰を願うコメントがSNSを中心に発信されていました。

多くのJクラブがホームゲームで早川選手を支援する意志を発表するなか、アルビレックス新潟としても契約を一時凍結し、サポートの体制を整えました。早川選手本人も、「全力前進」という言葉を胸に、再びピッチに立つことを目標として治療を続けました。


2017年12月。早川選手は自宅での療養から、アルビレックス新潟クラブハウスでのトレーニングに切り替え、本格的に復帰への道のりをスタートさせます。屋内での筋力トレーニングやジョギングなどで少しずつパワーをつけ、その後は中学生年代、高校生年代のチームに合流するなど、プレーを再開。自身の体と向き合いながら日々を過ごしました。

そして、2018年8月からは、ほとんどのトレーニングをトップチームに身を置いて取り組むまでになり、練習試合で戦えるほどのフィジカルに戻ると、11月12日、ついに「契約凍結の解除」がクラブより発表となりました。

早川選手にとって、この嬉しい発表は「ピッチに立つこと」の実現に向けたステップのスタートでもあります。2019シーズン、アルビレックス新潟はJ1昇格を目指してJ2リーグを戦いますが、決して早川選手にとっても、アルビレックス新潟にとっても簡単な目標ではありません。結果を求めて戦うチームに、早川選手がどのように貢献するのか、注目が集まることでしょう。

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